多摩美術大学の著名な卒業生といえば?
多摩美術大学は、美大の早慶といわれるほどのレベルの高い大学です。
有名大学なので、多くの著名な卒業生がいます。
今回は、多摩美術大学の著名な卒業生の中で誰でも知っている有名人を厳選して紹介させていただきます。
音楽家で多摩美術大学の著名な卒業生は?
石川俊介(いしかわしゅんすけ) 多摩美術大学中退
ベーシスト。
1962年生まれで横浜出身、聖飢魔IIでベースと担当していました。
アマチュア時代にバンドを組んで活動し、その後1986年からプロデビューし、聖飢魔IIのベーシストを務めました。
ミュージシャンとして活躍をしているほか、絵を描いたりなど多才な芸能人として有名です。
穏やかな性格で聖飢魔II時代にスペインでコンサートを行った時、現地の子供から親しみやすいとして人気があったようです。
1992年には動画教典として発売されたアニメで声優活動も行っています。
松任谷 由実(まつとうや ゆみ) 多摩美術大学美術学部卒業
シンガーソングライター。
ユーミンの愛称で知られています。
オリコンでは女性最多となるアルバムミリオン、首位記録などの記録を持っています。
デビューから結婚までが第一次ブーム、結婚後「恋人がサンタクロース」「ダンデライオン」
「守ってあげたい」などのヒット作を飛ばした第二次ブームへと続きます。
その頃一代ブームを巻き起こした「私をスキーに連れて行って」の主題歌も手掛けました。
近年は春よ来いプロジェクトなど被災地に寄付をするような活動もしています。
歌を通じた幅広い活躍が認められ、2013年には紫綬褒章も受賞しました。
小室等(こむろひとし) 多摩美術大学彫刻学科卒業
小室等は日本のミュージシャンである。
大学在学中にPPMフォロワーズと結成。アルバムをリリースする。
その後、六文銭、新六文銭の活動を経てソロ活動へと移行する。
そして、1975年に井上陽水、吉田拓郎、泉谷しげるとともに、フォーライフ・レコード社を発起し、初代社長となる。
また、詩人の谷川俊太郎とのコラボ作品の発表やテレビ番組への出演、ラジオパーソナリティーなどさまざまな活動を展開している。
最近の活動は自身の娘でミュージシャンのこむろゆいも在籍する六文銭’09としてやこむろゆいとの親子デュオ「Lagniappe(ラニヤップ)」などがある。
文化人で多摩美術大学の著名な卒業生は?
蜷川実花(にながわ みか) 多摩美術大学美術学部
写真家、映画監督。
世界的に活躍した演出家、映画監督の蜷川幸雄の長女として生まれ、桐朋女子高校を経て1994年に多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科卒業しました。
1996年にグラフィックデザインのコンテスト「ひとつぼ展」でグランプリ、キャノン写真新世紀で優秀賞を獲得、2007年には「さくらん」で映画監督デビューを果たします。
精力的に数多くの写真集、個展をする中、その名がさらに知れ渡ったのはアイドルグループAKB48の手掛けたことでした。
現在では2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会の理事としても活躍しています。
斎藤吾朗(さいとう ごろう) 多摩美術大学油絵科卒業
愛知県西尾市出身の画家。
独立美術協会会員。
日本人で初めてルーブル美術館において、モナ・リザの公認模写を許可されました。
これはシャガール以来、最新の公認模写です。
高校の非常勤講師を経て、世界を放浪し、画家としての自己を確立した後は、郷土・三河の風景や人物を描き続けています。
熱田神宮宝物館に常設された「熱田神宮・創祀千九百年」からは、画家本人のユーモラスな側面がうかがわれます。
ラジオ・テレビ等のメディアに出演する一方で、俳句の選者もこなし、多彩かつエネルギッシュな活動を展開しています。
三宅 一生(みやけ いっせい) 多摩美術大学図案科
ファッションデザイナー。
広島県立広島国泰寺高等学校を経て、多摩美術大学図案科に入学しました。
最初の仕事は東洋レーヨン(現・東レ)のカレンダー用の衣装制作です。
1965年パリに渡り洋裁学校で学んだあと1966年にギ・ラロッシュのアシスタントになり、その後、ジバンシィでも活動します。
帰国後の1970年に「三宅デザイン事務所」を設立、ブランド「ミヤケ・イッセイ」を立ち上げると1973年からはパリ・コレクションに参加し、日本のファッションシーンに多くの功績を残しています。
芸能人で多摩美術大学の著名な卒業生は?
佐藤 浩市(さとう こういち) 多摩美術大学美術学部中退
俳優。父は三國連太郎。
幼い頃母との離婚により父とは離れて育ち、ずっと確執があったそうです。
和解したのはお互い俳優として認め合えるようになった21世紀になってからのようです。
大学時代にデビューし、翌年の映画「青春の門」でブルーリボン賞新人賞を受賞し、実力派として現在まで映画を中心に活躍し続けています。
趣味も多く、ゴルフや競馬が好きで、ペットの亀に「トウカイテイオー」と名付けているそうです。
横浜DeNAベイスターズのファンでも知られています。
竹中 直人(たけなか なおと) 多摩美術大学美術学部デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業
俳優や声優、映画監督として活動している彼は、関東学院六浦高等学校を卒業後、多摩美術大学に進学します。
大学在学中は映像演出研究会に所属しており、8ミリ映画の制作に没頭したそうです。
なお、1977年にはTBSの「ぎんざNOW!」の「素人コメディアン道場」で第18代チャンピオンになりました。
卒業後はさまざまなドラマや映画に俳優として出演し、1991年に映画「無能の人」で主演を演じますが、この作品で自らが監督となり、監督デビューも果たしました。
浅沼 晋太郎(あさぬま しんたろう) 多摩美術大学造形表現学部 映像演劇学科 卒業
俳優や声優、デザイナーなど幅広い分野で活動している彼は、岩手県出身です。
仙台育英学園高等学校を卒業後、多摩美術大学に進学し、2000年に劇団を立ちあげ演劇活動を始めました。
なお、同時にラジオドラマの脚本やコピーライトなども手掛け、2006年にはアニメ「ゼーガペイン」のオーディションに合格し、声優としてもデビューします。
声の幅が広いため、さまざまな年齢のキャラクターを演じ、海外映画の吹き替えなども担当しています。
加藤 諒(かとう りょう) 多摩美術大学造形表現学部 映像演劇学科卒業
俳優、タレントとして活動している彼は、静岡県出身です。
10歳のときに「あっぱれさんま大先生」というバラエティ番組に出演し、芸能界デビューをしています。
なお、2000年には金髪の草原という映画でリョウという役を演じ、映画デビューも果たしました。
常葉学園橘高等学校音楽科声楽専攻卒業後、多摩美術大学に進学しますが、大学在学中は舞台のセットを作ったり、自らも役者として舞台にたっていたそうです。
片桐 仁(かたぎり じん) 多摩美術大学版画科卒業
多摩美術大学時代、相方である小林賢太郎に声をかけられてお笑いコンビ「ラーメンズ」を結成しました。
小林が手がける脚本、演出と片桐のコミカルな動きで独特の世界観を作り出し、一気に知名度を上げました。
現在は単独での活動が増え、コントライブだけでなく俳優や声優として存在感の強いキャラクターを演じ、その才能を発揮されています。
また粘土細工が得意で、作品展は全国巡業もするほどの人気があります。
夢眠ねむ(ゆめみねむ) 多摩大学情報デザイン学科中退
アイドル。
三重県上野市出身のでんぱ組incのメンバーで、アイドルやタレント以外にも美術家や映画監督としても活躍されています。
年齢は非公開のようです。
子供の頃は松尾芭蕉に憧れて俳人になろうとしていたり、漫画家を目指していたようですが学生時代に広告デザイナーになろうと美術大学の進学を決め、メイド喫茶を訪れたことがきっかけでアイドルへの興味を持つようになったそうです。
多摩美術大学情報デザイン学科に入学後にメイド喫茶でアルバイト経験し、2009年にでんぱ組incに加入しアイドルとしての活動がスタートしました。
池田努(いけだつとむ) 多摩美術大学中退
池田努は日本の俳優である。
新人発掘オーディションにて最終選考まで残り、グランプリには届かなかったもの、それがきっかけで石原プロモーションにスカウトされ、2001年に「反乱のボヤージュ」にてデビューを果たす。
デビュー後もさまざまなテレビドラマに出演し、2007年には俳優業修行のため1年間活動を休止。
ニューヨークに渡り、演技の勉強をし、2010年には、ニューヨークのアクターズ・スタジオにて公演を行う。
また、画家としての才能も持ち、ニューヨークで開催された芸術祭に自身の作品を出展した。
小林 賢太郎(こばやし けんたろう) 多摩美術大学版画科卒業
お笑い芸人、漫画家、舞台アーティスト、演出家。
1973年に横浜で生まれ、多摩美術大学の絵画科を志すも落ち、版画科に入学。
そこで出会った片桐仁と1996年にラーメンズとしてお笑い芸人を始める。
2000年には多摩美術大学の同級生と結婚、お子様も誕生。
お笑いでは舞台を中心にコントを行い、脚本、演出は全て小林が担当。
声帯模写やパントマイムで世界観を表現する。
ラーメンズの他にも様々なお笑い芸人と組んだ舞台もあり、コント以外も行う。
お笑い以外にも、漫画「鼻兎」を出版。田中知之と組みCDも発売している。
あまりプライベートはあかざず、テレビ出演もほとんどしないため認知度は低いが、様々な分野で活躍するマルチな才能を持った知る人ぞ知る有名人。
京本 政樹(きょうもと まさき) 多摩美術大学中退
俳優、タレント。
もともとミュージシャン希望でしたが、俳優としてスカウトされデビューしました。
1981年銭形平次に出演したことをきっかけに時代的俳優として活動していくことを目指します。
1985年必殺仕事人の竜役がはまり役となり、大ブレイクします。降板後は演技の幅を広げさまざまな役を演じています。
また、バラエティにも出演して端整な顔立ちとは裏腹なコミカルな一面も見せています。
食事は1日1食、炭酸好き、病院嫌いで骨折しても自分で治すそうです。
現在息子の京本大我が親譲りの顔立ちを武器にジャニーズで活動しています。
森久保祥太郎 多摩美術大学中退
声優。
東京都出身。日本大学第三高等学校卒業後、多摩美術大学へ進学するが、中退しタレント事務所に所属する。
1996年に『爆走兄弟レッツ&ゴー!!』にて声優デビューする。
その後も、『MAJOR』の茂野吾郎役や、『NARUTO -ナルト- 疾風伝』の奈良シカマル役、『弱虫ペダル』の巻島裕介役など、たくさんの有名作品にも出演している。
現在は、アニメだけでなく映画吹替やゲーム、舞台、音楽活動、ラジオなどでも活躍している。
作家で多摩美術大学の著名な卒業生は?
木村裕一(きむらゆういち) 多摩美術大学卒業
東京都生まれの絵本・童話作家ですが戯曲や小説、コミック原作など幅広く活動されています。
著書は500冊以上もあり、「あかちゃんあそびのえほん」シリーズは累計900万部というベストセラーになりました。
代表作は「あらしのよるに」で、講談社出版文化賞絵本賞などを受賞されています。
2005年には映画化もされ映画もヒットしました。
2011年からはアニメーション作品であるパッコロリンでキャラクターデザインや総作画監督を務めています。
あだちなみ 多摩美術大学グラフィックデザイン専攻卒
絵本作家。
1974年生まれ、岐阜県出身の絵本作家で2003年からフリーの絵本作家として活動されています。
絵本の「くまのがっこう」シリーズが有名です。
2016年にレストランのリトルシェフのロゴやカードデザインを手掛け、絵本以外にもデザインのお仕事をされているそうです。
2017年からはインスタグラムを始め、そこで営業活動の宣伝をされています。
最近はワークショップでの活動もされていたり、「くまのがっこう」展のサイン会も開かれて多くのファンが集まりました。
北見けんいち(きたみけんいち) 多摩美術大学付属芸術学園写真科卒業
漫画家。
多摩美術大学付属芸術学園写真科を卒業してから写真店を経営されていました。
それから1964年に漫画家の赤塚不二夫さんのアシスタントになり、1979年に「どじょっこふなっこ」で漫画家デビューをされました。
日本人ならば多くの人が知っている有名映画の「釣りバカ日誌」の作者で、1979年からはビッグコミックオリジナルで漫画が連載され、2002年にアニメ化されテレビで放送されました。
野球が趣味で、中日ドラゴンズのファンとしても有名です。
しりあがり 寿 (しりあがり ことぶき) 多摩美術大学デザイン科グラフィックデザイン専攻卒業
漫画家。卒業後、キリンビールに勤務しながら漫画家活動をされていました。
現在はキリンビールを退社して、漫画家に専念されてます。
初期はシュールな漫画を描かれていましたが、東日本大震災を描いた漫画は哲学的要素を含み、朝日新聞の4コマ漫画は時事的な要素を含んでいます。
漫画だけでなくキャラクターデザインや本のカットも描かれています。
いわゆる「ヘタウマ漫画」の部類の方です。西原理恵子さんとの「画力対決」は有名です。
日本画・仏像のお題を出されてその場でその絵を描くのですが、下手なりに記憶に止めておられ、美大出身の底力を見せつけられました。
横森 理香(よこもり りか) 多摩美術大学美術学部卒業
小説家、エッセイスト。
大学卒業後、2年間のニューヨーク生活後小説家としてデビューします。
その後発表された「ぼぎちん」という作品が高く評価され、海外にも翻訳されその名を
知られることになりました。
女性を応援するエッセイにも定評があり「40代?大人女子のためのお年頃読本」はベストセラーになります。
女性を応援する姿勢が高じてコミュニティサロンを発足し、さまざまな講座やセラピーなどで夢を実現する自分作りというものをサポートしているそうです。
高田明美(たかだあけみ) 多摩美術大学卒業
イラストレーター。
高田明美さんは、多摩美術大学を卒業後、「科学忍者隊ガッチャマン」や「ハクション大魔王」などで有名なアニメーション会社タツノコプロに入社し、キャラクターデザインを担当し、1981年からフリーとなりました。
高田明美さんの代表作は、「うる星やつら」、「魔法の天使クリィーミーマミ」など多岐にわたりました。
その美しいヴィジュアルは高く評価されました。
2007年からは、高田明美さんは宝飾デザイナーとして、自身のブランド「ANGELMYTHOS」で活躍しています。
小栗左多里(おぐりさおり) 多摩美術大学グラフィックデザイン学科卒業
漫画家。
1995年、集英社が販売している少女漫画雑誌「コーラス」において、「空に真っ赤なモノレール」でデビューしました。
2002年には、アメリカ人のトニー・ラズさんとの恋愛、そして結婚生活を描いたコミック「ダーリンは外国人」を発売。
シリーズの累計は300万部を越える程の大ヒットで、2010年には実写映画化もされました。
2012年には、ドイツの首都ベルリンに移住して、トニーさんはお子さんと、ドイツの首都ベルリンで生活しています。
和田 誠(わだ まこと) 多摩美術大学図案科卒業
1936年生まれ大阪府生まれのイラストレーター。
終戦後、東京で育ち都立千歳高等学校卒業後に多摩美術大学図案科に入学しました。
卒業後は広告制作プロダクションにデザイナーとして入社し、タバコのパッケージデザインなどを手掛けます。
1968年にフリーランスとなり週刊誌や小説などのブックデザインで評判を呼びました。
1974年には講談社出版文化賞のブックデザイン部門を受賞しています。
妻は料理研究家の平野レミで、長男はTRICERATOPSの和田唱、義娘は女優の上野樹里です。
高山 羽根子(たかやま はねこ) 多摩美術大学美術学部絵画学科卒業
富山県生まれの小説家。
1975年生まれてあることと多摩美術大学美術学部絵画学科を卒業していることは公表されていますが、それ以上の経歴はあかされていません。
2009年に創元SF短編賞佳作を受賞してデビューしました。
その後、文芸誌に小説やエッセイを発表して活動しています。
2016年には「太陽の側の島」で林芙美子文学賞を受賞しました。
戦争中の国で生きる女性と激戦地に赴いた兵士の日記を通じて人間を描いた作品で、選考委員を務めた角田光代さんは「世界観の広がりに魅了された」とコメントしています。
その他で多摩美術大学の著名な卒業生は?
佐藤 可士和(さとう かしわ) 多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン科卒業
建築家の佐藤明を父に持つクリエイティブディレクター・グラフィックデザイナー。
成城高等学校卒業後、美術学校を経て多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン科に進学します。
大学卒業後は広告代理店の博報堂に入社し、2000年には「クリエイティブスタジオ株式会社サムライ」を立ち上げます。
佐藤可士和が手がけた有名なデザインとしては、ヴィッセル神戸のロゴや国立新美術館のロゴを挙げることができます。
またSMAPやミスチルなど有名アーティストのCDジャケットのデザインもしています。
2007年に出版した『佐藤可士和の超整理術』はベストセラーとなりました。