同志社大学の著名な卒業生は?
同志社大学は偏差値60程度の中堅私立大学です。
関関同立でトップの大学として有名で、関西では圧倒的な知名度を誇っています。
今回は、同志社大学の著名な卒業生を紹介させていただきます。
目次
- 芸能人で同志社大学の著名な卒業生
- カズレーサー(かずれーさー) 同志社大学商学部卒業
- 藤木 悠(ふじき ゆう) 同志社大学文学部卒業卒業
- 浜村 淳(はまむら じゅん) 同志社大学文学部卒業
- 永野宗典(ながのむねのり) 同志社大学神学部卒業
- 生瀬勝久(なませかつひさ) 同志社大学文学部
- 清水圭(しみずけい) 同志社大学商学部
- チャック・ウィルソン(ちゃっく・ウィルソン) 同志社大学
- 宇垣美里(うがきみさと) 同志社大学卒業
- 八巻 アンナ(やまき あんな) 同志社大学文化史学科卒業
- もえの あずき 同志社大学経済学部卒業
- 山崎 和佳奈(やまざき わかな) 同志社大学工学部工業化学工学科卒業
- 藤本 恵理子(ふじもと えりこ) 同志社大学経済学部卒業
- 塩見 三省(しおみ さんせい) 同志社大学卒業
- レイザーラモンHG 同志社大学商学部卒業
- 文化人で同志社大学の著名な卒業生
- スポーツ界で同志社大学の著名な卒業生
- 政治・経済界の同志社大学の著名な卒業生
芸能人で同志社大学の著名な卒業生
カズレーサー(かずれーさー) 同志社大学商学部卒業
真っ赤な衣装に金髪でお馴染みのお笑い芸人。
コンビ名はメイプル超合金。
相方の安藤なつと共に強烈なインパクトを与えている。
「コブラ」という漫画の影響を受け、高校時代から赤色の服を愛用しており、就活でも赤のスーツで出席したこともあるらしい。
ピン芸人では売れず、2012年今のコンビを結成。
ネタは主にカズレーサーが考えている。
2016年に放送のQさまヤング学力王No1決定戦で初優勝して以来、高学歴お笑い芸人としてのイメージが定着してきている。
藤木 悠(ふじき ゆう) 同志社大学文学部卒業卒業
大阪府出身の俳優です。
特技はフェンシングで、大学在学中には全日本フェンシング選手権大会の男子エペ個人で優勝したという経験もあります。
1953年に映画会社東映が開催していたオーディション、東宝ニューフェイス第6期に合格し映画「魔子恐るべし」でデビューしました。
その後、さまざまな映画やテレビドラマに出演し、海外の映画の吹き替えにも挑戦しています。
2005年に公開された映画「北の零年」が遺作となりました。
浜村 淳(はまむら じゅん) 同志社大学文学部卒業
京都府出身の彼は、京都府立山城高等学校を経て、同志社大学文学部に入学します。
大学在学中からジャズ喫茶やキャバレーなどで司会者としてのアルバイトをしていたそうです。
卒業後は会社に勤めますが、司会者の仕事も続け、渡辺プロダクションの社長に声をかけられて芸能界に入ります。
1974年には「ありがとう浜村淳です」というラジオ番組のパーソナリティーを務めはじめます。
長年の映画への貢献が認められた2009年には第4回おおさかシネマフェスティバルで特別賞を受賞しました。
永野宗典(ながのむねのり) 同志社大学神学部卒業
宮崎県出身の俳優である彼は、1年宅浪したのち同志社大学神学部に入学します。
その後同志社小劇場に入団し、劇団「ヨーロッパ企画」の旗揚などにも参加したそうです。
大学を卒業後は同志社大学の学生新聞に4コママンガを連載したり、ラジオのパーソナリティをしたりと、映画や舞台、ドラマに出演する以外の活動もしています。
また、みずから脚本を書いたり演出をてがけることもあります。
2013年の7月には年下の会社員と入籍しました。
生瀬勝久(なませかつひさ) 同志社大学文学部
日本の俳優、タレント、司会者。
本名で活動しています。
大学の劇団「第三劇場」に所属していた頃にスカウトされ、「そとばこまち」に入団、猿飛佐助で初舞台を踏みました。
大学卒業時、一般企業から内定をもらっていましたが、演劇界へ進みました。
そとばこまちの4代目座長に就任すると、劇作家、演出家も務めました。
同じ頃深夜のコント番組に出演すると、コメディアンとしての才能も発揮し、2001年にはそとばこまちを退団。
以降シリアスからコミカルな役まで幅広く演じ、名脇役としてドラマや映画に引っ張りだことなっています。
清水圭(しみずけい) 同志社大学商学部
日本のお笑い芸人、本名清水圭太。
大学卒業後はアパレルメーカーに就職しサラリーマンとして働いていたが、2年後、大学の後輩と漫才コンビを結成。
新人の登竜門であるコンクールで優勝すると関西では人気の漫才コンビとなりました。
ラジオ番組で東京進出を果たすも、ブレイクせず関西での活動に戻りました。
1993年に東京に再進出するとパネラーやリポーターなどピンでの活動が多くなり、コンビは解散します。
サッカー、ゴルフ、サーフィンなどをこなしスポーツマンとしても有名です。
チャック・ウィルソン(ちゃっく・ウィルソン) 同志社大学
アメリカ出身のスポーツインストラクター、外国人タレント、俳優、著作家。
日本にエアロビクスを広めた人物でもあります。
少年時代は病弱でいじめを受けていたが、18歳から筋トレを始めて体を鍛え、レスリング、柔道・空手に取り組んでいました。
大学へは柔道留学で入学、全日本パワーリフティングでベンチプレス200キロの日本記録を8年間保持していました。
日本のテレビ番組にも度々出演していましたが、現在はチャックウィルソンエンタープライズを経営し、全国のフィットネスセンターの指導にあたっています。
宇垣美里(うがきみさと) 同志社大学卒業
TBSの女子アナとしてとても人気がある。
大学ではミスキャンパス同志社でグランプリを獲得。
最近ではテレビで見ない日はないと思うぐらい出演している。
出演されている主なテレビ番組は「炎の体育会TV」「ひるおび!」などでで活躍されている。
楽器の演奏や乗馬のライセンスなども持っており、とてもマルチな女子アナです。
八巻 アンナ(やまき あんな) 同志社大学文化史学科卒業
声優。
鳥取県出身で、リマックス所属している。
同志社大学文化史学科卒業。
趣味は、寺社仏閣、博物館めぐりとお笑いライブ鑑賞。
一世を風靡した『白猫プロジェクト』のドーリー役や『アイドルマスターシャイニーカラーズ』の白瀬咲耶役で知られる。
ショートヘアーのボブカット。公式年齢は発表されていない。
声質はアルトよりの中性。年上の女性役が似合う。
『アイドルマスターシャイニーカラーズ』内で、磯部花凛、菅沼千紗、成海瑠奈、結名美月と、ユニットアンティーカ(L’Antica)を組んでいる。
もえの あずき 同志社大学経済学部卒業
芸能人。大阪出身。
アイドルグループ「エラバレシ」のメンバーだが、大食いタレントとして知られる。
愛称は「もえあず」。「元祖!大食い王決定戦」五代目爆食女王となり、三連覇を達成した。
同志社大学経済学部卒業。
大学時代、カナダのトロントに一年間留学をしていた。
黒髪ロングヘアーにチェックの制服が特徴。愛称通りのロリ声の持ち主。
趣味は株式投資。株主優待サービスを楽しむ姿が、ブログなどにアップされている。
雰囲気とは違い、からなりの分析家で、食べている人の食べ方や癖を見て、作戦を見抜く眼力の持ち主。
山崎 和佳奈(やまざき わかな) 同志社大学工学部工業化学工学科卒業
声優、ナレーター。
神奈川県横浜市出身だが、京都育ち。
同志社中学校・高等学校から同志社大学工学部工業化学工学科へ進学し、卒業となる。
宝塚歌劇に憧れ演劇を志し、中高では演劇部に所属した。
大学時代には、劇団そとばこにも在籍していた。所属は、青二プロダクションである。
『ひみつのアッコちゃん(第3作)』の加賀美あつこ(アッコちゃん)役、『名探偵コナン』の毛利蘭役が主な代表作である。
毛利蘭が空手の達人である設定から、山崎自身も太極拳や殺陣を本格的に学んでいる。
2015年、『名探偵コナン』で共演する日高のり子、松井菜桜子とアイドルユニット「backdrops(バックドロップス)」を結成。『Don’t fly!』でデビューを果たす。
藤本 恵理子(ふじもと えりこ) 同志社大学経済学部卒業
ファッションモデル兼女優。
1981年8月、兵庫県神戸市に生まれる。同志社大学経済学部卒業。
2004年に、ミス・ワールド日本代表準グランプリに選ばれる。
大学在学中、ファッション雑誌『CanCam』の専属モデルをしていた。
大学卒業後上京し2005年4月から、ファッション雑誌『JJ』(光文社)の専属モデルとして2年間活動をした。
2015年4月に二歳年上のアメリカ人男性と結婚し、翌年の12月に女児を出産している。
「谷川真理ハーフマラソン」等に、ゲストランナーとして参加したことがあるほど、マラソンが得意。
かつては、オスカープロモーションに所属していたが、現在はフリー。
塩見 三省(しおみ さんせい) 同志社大学卒業
俳優。
大学卒業後の1978年、劇団円に入団しました。
80年代以降はテレビドラマ・映画と活動の場を広げました。
独特の存在感のある演技は定評があります。NHK連ドラ「あまちゃん」では寡黙な職人の勉さん役を好演しました。
一方で、2012年には北野武監督の映画で、やくざ役にも挑戦するなど幅広い役をこなせる名わき役です。
2014年に脳出血で倒れ、麻痺が残るような状態でしたが、闘病生活を続けつつ芸能活動を少しずつ再開しています。
レイザーラモンHG 同志社大学商学部卒業
お笑い芸人として、ハードゲイキャラで一世を風靡しました。
当時人気のあった細木数子とのバラエティ番組での絡みが話題を呼びました。
相方はレイザーラモンRGであるが、テレビでコンビとして見ることは少ないです。
HGは同志社、RGは立命館大学出身の為、大学対抗の同立戦のポスターにレイザーラモンがコンビで採用、掲載されたこともあります。
現在も活動は継続、二児の父であり、妻は元グラビアアイドルの鈴木杏奈です。
文化人で同志社大学の著名な卒業生
岡崎 体育 (おかざき たいいいく) 同志社大学文化情報学部卒業
シンガーソングライター。
面白い歌詞で話題を呼ぶことが多いミュージシャンである。
幼少期から音楽に親しんで育ち、大学入学後はバンドを結成しました。
卒業後は一般企業へ就職したが、音楽の夢を追う為に退職し、「岡崎体育」として活動を開始。
当初は地元のアルバイトをしつつ自主制作でCDをリリースするなど、音楽活動を続けていました。
冷蔵庫に貼ってあったレシピを英語風に読む動画や、ミュージックビデオあるあるを描いた「MUSIC VIDEO」のミュージックビデオで人気を博しました。
筒井 康隆(つつい やすたか) 同志社大学文学部卒業
日本の小説家・劇作家・俳優であり、小松左京、星新一と並んで「SF御三家」とも称されています。
パロディやスラップスティックな笑いを得意とし、初期にはナンセンスなSF作品を多数発表しています。
代表作として、映画化にもなった『時をかける少女』(1986年)があります。
1962年、『SFマガジン』のハヤカワ・SFコンテストで「無機世界へ」(後の「幻想の未来」の原形)が選外佳作となります。
入選三席には小松左京氏、半村良氏がいました。
翌年『SFマガジン』増刊号に「ブルドッグ」を発表し『SFマガジン』に初登場します。
1964年、第3回日本SF大会・大阪大会(DAICON)を主催、前年に創立されていた「日本SF作家クラブ」に参加し、SF作家たちとの交流を深めます。
1965年、前年に脚本スタッフとして参加していたテレビアニメ『スーパージェッター』の商品化権料を多額に得て、作家専業のめどが立つことになります。
中村 うさぎ (なかむら うさぎ) 同志社大学文学部英文学科卒業
小説家であり、エッセイストです。
卒業後は繊維会社で営業職として働いていましたが一年半で退社し、ゲーム雑誌ライターとして活動しました。
1991年にライトノベル作家としてデビューし、ライトノベルを中心に活躍していましたが、自身のホスト通いやブランド品の買い物などの浪費家ぶりを書いたエッセイが人気となりました。
その後も、顔の整形や豊胸手術などの実録を書き、現在に至るまでエッセイストとして活動しています。
楠瀬拓也(くすのせ たくや) 同志社大学中退
大阪市港区弁天町出身です。
中学2年からドラムを始めてみるみる才能を開花させました。
Hysteric BlueのメンバーでHysteric Blue時代は、[たくや]で活動してました。
その後は、個人で活動しますが本名の楠瀬拓哉で活動してます。
個人での活動は、韓国でロックフェスを行ったりしてます。
また作曲家としても活躍してます。
デーモン小暮閣下のプロデュースでアルバム1枚作成してます。
また舞台制作の音楽もプロデュースしてます。
千 宗左(せん そうさ) 同志社大学卒業
茶道表千家の15代家元。昭和45年生まれ。
京都市出身で同志社大卒です。
生まれた時から茶道が日常でした。ままごと遊びに茶道をして過ごしました。
同志社大学卒業後はイギリス留学を二年半しました。
イギリス留学で出会った留学生同士の交流から自国の文化に誇りを持ってる人が多い事に気がつきました。そこで茶道の文化を誇りたいと強く思い始めます。
現在は、茶道の普及活動や教室や茶道のホンの出版等で活躍されてます。
百田 尚樹(ひゃくた なおき) 同志社大学法学部中退
放送作家・小説家。大学在学時代は「ラブアタッカー」という番組によく出演していました。
奥様とはその縁で知り合いました。大学中退後、放送作家となり「探偵 ナイトスクープ」を担当していました。
2006年に「永遠の0」で作家デビューし、次々とヒット作を生み出しました。
その一方で、太平洋戦争に対する考え方で論議がおきたり、作品に対しての訴訟があったりと実在のテーマや人物を素材に書いた作品では、作品外のことで世間をにぎわしてもいます。
作品は人情・絆・宿命をテーマに頑張りぬいた主人公の話が多く、多くの作品が映画化されています。
有栖川 有栖(ありすがわ ありす) 同志社大学法学部
小説家。推理作家。
大阪育ちで小説の舞台も関西圏が多いようです。
有栖川有栖はペンネーム。
作品にも有栖川有栖という人物が登場するシリーズがあります。
エラリークイーンに大きな影響を受けたと言われています。
ミステリー小説の王道といわれるような作品を多く出し、新本格派のひとりと呼ばれる作家で
今まで数々のミステリーランキング入賞、受賞しています。
見た目はひょうひょうとした、アーティストのような風貌ですが、夢の実現のために努力を惜しまない、強い気持ちを持った人物とのことです。
種 ともこ(たね ともこ) 同志社大学文学部哲学科卒業
シンガーソングライター。
1961年11月、京都府長岡京市に生まれる。同志社大学文学部哲学科卒業。
エクセントリックかつキュートな歌声の持ち主で、歌詞は、日常的・直接的な言葉遣いが特徴的。
三歳の頃、ピアノを習い始めるが、7歳の時に骨の病気を発病。以来、約10年間入退院を繰り返す。
周りの影響から洋楽や歌謡曲にも見聞が広い。
中学時代は、合唱部に入部し、和声を学ぶ。高校では、病気が再発したことで休みがちであった。
詩を書き始めたのはこの頃である。高校3年生の時、ニーチェを読んで、哲学に憧れ大学は哲学科に入学するが、すぐに飽き、バンド活動に明け暮れた。
現在は、二児の母である。
また、2007年から、国立音楽院にて、シンガーソングライター科の講師を勤めている。
マキノ ノゾミ 同志社大学文学部卒業
男性の脚本家、演出家、劇作家。
1984年に、劇団M.O.P.を旗揚げ。
2002年にNHK連続テレビ小説「まんてん」で脚本を担当した事で広くその名を知られるようになった。
妻は劇団M.O.P.に所属した女優のキムラ緑子。夫婦仲はよかったようだが2005年に一度離婚。その後2011年に復縁した。
スポーツ界で同志社大学の著名な卒業生
田尾安志 (たお やすし) 同志社大学文学部卒業
元プロ野球選手。1976年から1991年まで、中日、西武、阪神で活躍。
1976年には新人王を獲得しチームの主力となる。特に1982年は首位打者まであと一歩というところまでいったが、相手チームの5打席連続敬遠に泣かされてタイトル獲得ならず。
そのシーンがとても印象的であった。
引退後はフジテレビの野球解説者として活躍しお茶の間に好印象を残した。
その後2005年には新球団として東北楽天ゴールデンイーグルスが設立されて初代監督として就任した。
宮本 恒靖(みやもと つねやす) 同志社大学経済学部卒
サッカー元日本代表選手。
現役時代はガンバ大阪⇒レッドブル・ザルツブルク⇒ヴィッセル神戸でプレーをし、読みの鋭いDFとして活躍されました。
2002年、2006年はFIFAワールドカップに出場し、キャプテンを務めました。
2002年のワールドカップでは鼻の骨を骨折し、黒のフェースガードを装着してプレーしたことでも有名です。
現役引退後は解説者としての仕事もありましたが、日本人元プロ選手としては初めてのFIFAマスター卒業生になりました。
現在はJリーグガンバ大阪のトップチームの監督に就任しています。
小林誠司(こばやしせいじ) 同志社大学
日本プロ野球選手。ポジションは捕手。
両親の仕事柄、小さい頃は水泳をやっていましたが、小学2年生からソフトボールを始めました。
大学に入学すると1年春からリーグ戦に出場し、大学のリーグ優勝4連覇に貢献しました。
卒業後は社会人に進むことを決めていたものの、1位指名ならプロ入りとし、プロ志望届けを出しました。
ここでは指名球団がなく日本生命に進みます。
都市対抗野球に入社1年目から出場、2013年には社会人ベストナインに選出、この年のドラフト会議で読売ジャイアンツが1位指名をして入団し、現在も同チームの主将阿部慎之助の後継者になるべく活躍しています。
朝原 宣治(あさはら のぶはる) 同志社大商学部卒業
陸上競技の元選手。専門の種目は短距離。
意外にも小・中学校時代はハンドボール部のレギュラーとして活躍し、全国大会出場も果たします。
陸上競技を始めたのは高校生の時から。しかし種目はまたしても短距離ではなく、走り幅跳びでした。
走り幅跳びでは、高校3年生の頃にインターハイ優勝という素晴らしい成績を収めています。
スプリンターとしての才能が開花したのは、同志社大学に入学後のこと。
当時の日本記録をマークし、優勝。
そのことが短距離選手として注目されるキッカケとなり、和製カール・ルイスと評されました。
2008年の北京オリンピックでは、日本代表として陸上男子4x100mリレーに出場し、銀メダルを獲得。
妻は同志社大学の同級生でアーティスティックスイミングの元選手、奥野史子で3人の子供がいます。
引退後は、指導者やスポーツ解説者として活動の幅を広げている。
平尾 誠二(ひらお せいじ) 同志社大学商学部
元ラクビー日本代表選手。
1980年代に「スクールウオーズ」のモデルとなった伏見工業高校ラクビー部の部員。
高校では全国選手権優勝をして、同志社大学に進学し、社会人チームではセンターとして神戸製鋼7連覇の中心メンバーとして活躍し、1982年には史上最年少で日本代表に選ばれました。
その華麗なステップと俊足はラクビーファンを魅了しました。
また、ファッション誌にも登場するなど、マイナースポーツ的だったラクビーを一般に広げる役割も果たしていました。
伏見工業高校は、その当時は不良の集団のような学校で、成績が良く花園高校に特待生入学が決まっていた平尾の両親は伏見工業入学を反対したそうです。
平尾自身が伏見工業監督の山口良治氏のプレーにほれ込み、どうしても行きたいと自分の意志を通しました。
晩年はがんと闘病をしていました。2016年死去。
中西 哲生(なかにし てつお) 同志社大学経済学部卒業
元プロサッカー選手。
現在はサッカー解説者、スポーツジャーナリスト。
名古屋出身で名古屋グランパスエイトに入団、攻撃面で活躍しました。
その後移籍した川崎フロンターレではボランチやセンターバックにポジションを変え、チームに貢献し1999年は主将としてJ2優勝に導きました。
そのときの日記を本にまとめた「魂の叫び J2聖戦記」がベストセラーになりました。
引退後は他の引退選手とは違い、主にメディアでコメンテーターや解説者、司会などで
現在もサッカーに携わっています。
中西 哲生(なかにし てつお) 同志社大学経済学部卒業
元サッカー選手・スポーツジャーナリスト。
名古屋大学付属高校時代はFCで活躍しました。
同志社大学を経て、1992年から名古屋グランパスエイトで選手として活躍。
ストライカーやディフェンダー、中盤など多くのポジションができる器用な選手でした。
97年からは川崎フロンターレに移籍。
2001年の引退後はサッカー界で後進の指導は行わず、ジャーナリストとして活躍しています。
さわやかな容姿と分かりやすい解説で親しまれています。
ホノルルマラソンで女性に負けたことで、「サンデーモーニング」で張本氏にカツを入れられたこともあります。
記録は4時間台でした。
2014年に離婚・元奥様はタレントの原史奈。
奥野史子 (おくのふみこ) 同志社大学商学部卒業
元アーティスティックスイミング選手。
京都市出身で呉服店の三姉妹の末娘として生まれ、4歳の時に水泳教室に通い始めます。
小学校1年の時にアーティスティックスイミングを始め、高校で国体に出場し、その後日本代表選手として海外の大会に参加します。
同志社大学の商学部に進学し、1992年の大学2年の時にバルセロナオリンピックの選手に選ばれ、ソロで3位、デュエットでも3位入賞を果たし、五輪銅メダリストとなります。
その後も様々な大会に出場しますが、1995年1月に引退を表明し、引退後はスポーツコメンテーターとして活躍しています。
政治・経済界の同志社大学の著名な卒業生
平松 邦夫 (ひらまつ くにお) 同志社大学法学部
1971年に毎日放送にアナウンサーとして入社しました。
数々の番組に出演し、ニューヨーク支局長やその他の役職を経て、2007年に退職しました。
同年の大阪市長選に立候補し、第18代大阪市長に就任しました。
就任後は市政改革や市政の情報公開に励むほか、大阪府長の橋本徹とは府市連携や文化行政について多くの意見交換を行いました。
201年に再選を目指し立候補しましたが、府知事を辞職した橋本徹との一騎打ちの末落選し、現在は公共政策ラボ(PPL)の代表を務めています。
土井たか子(どいたかこ) 同志社大学大学院法学研究科
日本の政治家。
衆議院議員、日本社会党委員長、衆議院議長、社会民主党党首などを歴任しました。
日本では女性初の衆議院議長、政党党首としても有名です。
女性の地位向上や性差別へ厳しく、はっきりした物言いからも人気が高まり、土井ブーム、またはマドンナブームと呼ばれる時期もありました。
2005年の落選から議席を失ってからは選挙には不出馬でしたが、政治活動は続ける意向を表していました。
2014年9月20日、与野党問わず惜しまれつつも肺炎のため85歳で逝去しています。
増田宗昭(ますだ むねあき) 同志社大学
大阪府枚方市出身の起業家です。
中学から高校まで同志社香里で過ごされました。
同志社大学卒業後にサラリーマンとなりました。
京阪枚方市駅前の裏側に蔦屋書店を開業しました。
開業当初は、今では創造できないぐらい地味な雑居ビル内での本屋でした。
様々な独自の経営哲学を持ってます。
その結果、本屋とCDレンタル販売業も始めて大成功しました。
現在では自ら企画屋と自称して京阪枚方市駅前にT-SITEのテナントビルの経営をしてます。
枚方市駅前を第二の梅田にしようと百貨店型ショッピングモールを経営してます。
千代松 大耕(ちよまつ ひろやす) 同志社大学卒業
犬の糞を放置すると飼い主に罰金する制度を制定しました。
関西国際空港のある泉佐野市の市長で、全国的にも注目を集める市長です。
泉佐野市出身です。
同志社香里高校から内部進学で同志社大学経済学部卒業です。
アメリカ合衆国のリンカーン大学大学院修了です。1999年に堀場製作所に入社しました。
2000年、泉佐野市議会議員補欠選挙に立候補して当選します。
その後4期連続で当選します。
2008年に泉佐野市議会議長に就任します。
2011年に市長選挙で初当選します。
ふるさと納税では返礼品の良さから人気が高まりました。その結果、泉佐野市の財政回復に大きな貢献されてます。
水野義夫 同志社大学卒業
株式会社ネイルズユニーク オブ ジャパン代表取締役、ネイルズユニーク ガレッジ 学院長。
全国に150店舗のネイルサロン、9校のネイルスクールを持つ。
数々のネイルイベントでは、理事や審査委員長を務めている。
秋期ネイリスト技能検定試験においては2級、1級の統括をしている。
米国ISSAショー審査委員等世界大会において、日本人代表審査委員を務める。
日本人としては初のカニフォルニア州マニキュアリストライセンスを取得する。
日本一のネイルサロン経営者。