駒澤大学の著名な卒業生は?
駒澤大学は偏差値50程度の大学です。
日東駒専の一つとして有名で駅伝などで活躍をよく耳にしたことがある方も多いでしょう。
今回は、駒澤大学の著名な卒業生を紹介させていただきます。
目次
- 芸能人で駒澤大学の著名な卒業生
- 桐谷健太(きりたに けんた) 駒澤大学中退
- 長谷川巧貴(はせがわこうき) 駒澤大学経済学部卒業
- 萩本欽一(はぎもと きんいち) 駒沢大学仏教学部在籍中
- せんだみつお 駒澤大学経済学部中退
- 小石田純一 (こいしだ じゅんいち) 駒澤大学法学部政治学科
- 中山優馬(なかやまゆうま) 駒沢大学中退(学部は非公開)
- 城みちる(じょうみちる) 駒澤大学中退
- 西山 浩司 (にしやま こうじ) 駒澤大学中退
- 坂井 古都(さかい こと) 澤大学文学部英文学科卒業
- 麻倉 みな(あさくら みな) 駒澤大学GMS学部卒業
- 織田 優成(おだ ゆうせい) 駒澤大学法学部法律学科卒業
- 中尊寺 ゆつこ(ちゅうそんじ ゆつこ) 駒澤大学法学部政治学科卒業
- 安元 洋貴 (やすもと ひろき) 駒澤大学法学部卒業
- 関俊彦 駒澤大学経済学部卒業
- 三森すずこ (みもり すずこ) 駒澤大学文学部英米文学科中退
- 文化人で駒澤大学の著名な卒業生
- スポーツ界の駒澤大学の著名な卒業生
- 政治・経済界の駒澤大学の著名な卒業生
- その他の駒澤大学の著名な卒業生
芸能人で駒澤大学の著名な卒業生
桐谷健太(きりたに けんた) 駒澤大学中退
大阪府出身。ホットロード所属。俳優、歌手。
主な出演作品は「クローズZERO」、「ROOKIES」、「BECK」等。
幼少期、映画館で「グーニーズ」を鑑賞した際、「この四角の箱に入りたい」と思い役者を目指す。
大学進学を機に上京し、オーディションをいくつも受けるがなかなか受からず、月に10回程度金縛りにあい、また現実逃避の為1日17時間くらい睡眠を取っていた。
俳優業と歌手を主に活動しており、2002年テレビドラマ「九龍で会いましょう」の山崎ケン役で俳優デビュー。
代表作はau三太郎シリーズのCMソング「海の声」で第58回日本レコード大賞優秀作品賞を受賞、第67回NHK紅白歌合戦に初出場を果たした。
また2014年には一般女性と婚姻、第一子ともに第二子誕生も報告している。
長谷川巧貴(はせがわこうき) 駒澤大学経済学部卒業
お笑いコンビ、アナクロニスティックのメンバーである彼は、駒澤大学2年生のときに相方である久世純平とコンビを組みます。
卒業後はプロダクション人力舎が運営する養成所に入り、キングオブコント2014では準決勝進出を果たします。
正式所属となった人力舎では、デビューから6か月で初の単独ライブを行うといった記録も持っており、デビュー後は日本テレビやフジテレビなどのさまざまなバラエティ番組にも出演しました。
萩本欽一(はぎもと きんいち) 駒沢大学仏教学部在籍中
子供時代は極貧生活を送り、高校卒業とともに東洋劇場に入団し、コメディアンの道に入ります。
1966年坂上二郎と「コント55号」を結成し、人気を博します。
70年代後半からは「欽ちゃんのどこまでやるの」「欽ドン良い子悪い子普通の子」「欽ちゃんの週刊欽曜日」など数々のテレビ番組に出演し、高視聴率を叩き出し、視聴率100%男の異名を持つようになります。
これらの番組からは多くの人気芸能人が排出され、また「なんでそーうなるの!」「どっちらけ」などのギャグも生まれました。
一説によると「天然ボケ」や「ウケる」などは萩本欽一により広まったとされています。
せんだみつお 駒澤大学経済学部中退
日本のコメディアン、タレント。
本名は中野光雄です。
大学を2年で中退後、服部栄養専門学校を卒業し、調理師免許を取得しました。
小学3年生から劇団に所属し子役として活動していましたが、約2年で辞めています。
専門学校に通いつつ、ムッシュ中野という芸名でバンドの付き人兼司会を務め、他のバンドや舞台で司会をしているうちにラジオ番組「東芝ワイドワイドサンデー」のレポーターとして起用され、その後もラジオ、テレビ番組の司会者として活躍することとなりました。
一時休業もしていましたが、現在は全国営業や2時間ドラマの脇役などで活躍しています。
小石田純一 (こいしだ じゅんいち) 駒澤大学法学部政治学科
お笑い芸人で、本名は並木政幸(なみきまさゆき)です。
大学卒業後に東京NSCに入学し、コンビを目指すも相方が見つからずに中退し、ワタナベコメディスクールに入学しました。
当時は“ナミキ”という芸名で活動していましたが、なかなか売れず、「石田純一さんに似ている」と言われたことから、“小石田純一”に改名しました。
当初は不本意ながらの改名でしたが、のちに「石田純一さんのように誰からも愛される存在になりたい。」と語るまでになりました。
2013年のイベントで、本人とのツーショットを果たしています。
中山優馬(なかやまゆうま) 駒沢大学中退(学部は非公開)
2006年12歳でジャニーズ事務所に入所し、関西ジャニーズJr.として活動を始めます。
2008年からは中山優馬W/7WESTとして活動します。
2009年には期間限定ユニットとしてNYC boysを結成し、女子バレーボールワールドカップのスペシャルサポーターを務め、その後はNYCとして活躍します。
2012年には駒沢大学に合格しますが、翌年3月に中退します。
その後はソローツアーや単独主演の舞台などさまざまな分野で活躍しています。
城みちる(じょうみちる) 駒澤大学中退
日本の歌手、タレント。本名は城谷晃太郎。
高校1年生でスター誕生!のチャンピオンに輝きました。
父親の反対する中、事務所社長の自宅に下宿し、大ヒット曲「イルカにのった少年」で歌手デビューしました。
この曲でレコード大賞の新人賞を受賞、新新御三家と言われていましたが20歳で引退し、大学中退後は実家に戻り家業を継いでいました。
ビートたけしとの会食がきっかけで芸能界に復帰し、タレントとして活動していました。2度の結婚を経験し、現在は広島を拠点に活動しています。
西山 浩司 (にしやま こうじ) 駒澤大学中退
俳優、タレント。
中学1年の時、日本テレビ「スター誕生」の、欽ちゃんと遊ぼう!コーナーで5週連続チャンピオンとなり、その後上京し、萩本欽一さんへ弟子入りしました。
1981年、「欽ドン!良い子悪い子普通の子」のワルオ役でブレイク、ヨシオ役の山口良一、フツオ役の長江健次とユニット「イモ欽トリオ」を結成、当時流行のテクノを取り入れたシングル、「ハイスクールララバイ」をリリースして大ヒットとなりました。
現在は舞台中心に、俳優、旅番組のレポーター等幅広く活躍中です。
坂井 古都(さかい こと) 澤大学文学部英文学科卒業
アイドル。岐阜県出身で、株式会社ECPに所属しています。
駒澤大学文学部英文学科を卒業します。
趣味は韓国語で、理由は「少女時代」に憧れて勉強を始めたとのことです。
姉が一人います。
好物は唐揚げで有り、撮影会等では、手作りの唐揚げを振舞うほどです。
2013年、ファーストDVD『ハツドリ 坂井古都』でデビューを果たします。
2015年1月、サンスポアイドルリポーター SIRの4期候補生としてグランプリを獲得し、その後、サンスポアイドルリポーター「ラベンダー」担当として加入します。
翌年2月、ユニットを卒業します。
同年4月、READY TO KISSこと「レディキス」に新メンバーとして加入をしますが、同年7月、脱退をします。
現在は、Premony(プレモニー)のメンバーとして活動しています。
麻倉 みな(あさくら みな) 駒澤大学GMS学部卒業
1989年12月、兵庫県明石市に生まれたが、すぐに鎌倉に引っ越しをした。
小学生の時に、父親の仕事の関係で、南アフリカに移住し、4年間、日本人のいない学校で過ごします。
駒澤大学GMS学部を卒業しました。
中学生の時から読者モデルを経験していたが、2009年に、渋谷109でスカウトされ、ワンエイトプロモーションに入所します。
同年11月、「神コレモデルオーディション2010」のファイナリストに選出さます。
翌年2月、「神戸コレクション2010 S/S」にてランウェイデビューを飾ります。
さらに、2011年、映画『僕たちは世界を変えることができない。』で女優デビューを果たします。
織田 優成(おだ ゆうせい) 駒澤大学法学部法律学科卒業
声優、ナレーター。青二プロダクションに所属しています。
1969年9月、宮城県仙台市に生を受けます。
駒澤大学法学部法律学科を卒業します。
2003年9月までは、本名の有馬 克明(ありま かつあき)名義で活動をしていました。
デビュー作は『クッキング』の上田守役です。
アニメの代表作は『テニスの王子様』の佐伯虎次郎役、ゲームの代表作は『天下一★戦国LOVERS DS』での上杉謙信役が知られる。
声質は、男性にしては高めで、濁りのない透き通って爽やかな声。
中尊寺 ゆつこ(ちゅうそんじ ゆつこ) 駒澤大学法学部政治学科卒業
漫画家。
1962年5月、神奈川県横浜市に生まれます。
14歳まで、少女モデルをしていました。
大学受験では1年間浪人し、駒澤大学法学部政治学科に入学、卒業をしました。
大学卒業後、就職活動はせず1987年、『週刊漫画アクション』と『ビジネス・ジャンプ』の新人賞に応募して入選し、その後、漫画家として活動するようになりました。
1989年、OLを題材にした漫画『スイートスポット』が連載開始されました。
同漫画内で描かれた「オヤジギャル」は、1990年の新語・流行語大賞新語部門・銅賞を受賞しました。
2004年夏頃からS状結腸癌を患い、執筆活動を続けながら闘病を続けていましたが、2005年1月31日、横浜市内の病院で永眠されました。
安元 洋貴 (やすもと ひろき) 駒澤大学法学部卒業
重低音の声を活かし活躍する、声優でありナレーターです。
学生時代から演劇に興味を示し、役者の道に進むも、舞台アンケートにて「役に対して声が低すぎる」などの意見が多くあったことから、自身の声の特徴をコンプレックスに感じていました。
そこから、声に対してのコンプレックスを逆手に取り、声優を目指しました。
デビュー当初から報道やスポーツ番組でナレーションを担当し、2014年放送のアニメ「鬼灯の冷徹」では鬼灯役で主役を務めました。
関俊彦 駒澤大学経済学部卒業
1962年6月11日生まれ。栃木県真岡市出身。
既婚、二人の娘がおり、日本の声優、ナレーター、舞台俳優、歌手のあたります。
姉の影響で舞台をよく見に行ったことや自身も声優ラジオのリスナーだったこともあり、大学在学中から声優活動を始めたそうです。
ラジオドラマでデビューをはたしました。
声優以外でも、NHK番組「ふえはうたう」では1989年から8年間お兄さん役を演じました。
声優デビュー当初から様々な役を演じてきていて、有名な役では「忍たまらんたろう」の土井先生、「NARUTO」のイルカ先生、「HUNTER×HUNTER」のウイングなどがあります。
三森すずこ (みもり すずこ) 駒澤大学文学部英米文学科中退
”みもりん”の愛称で親しまれる声優です。
宝塚音楽学校を受験しましたが、惜しくも最終試験で不合格となってしまいました。
以前は「黒川鈴子」としてミュージカルを中心に舞台で活動していましたが、ブシロードの社長から声をかけられ、事務所を現在所属する響に移し、声優として活動を始めました。
声優ユニットの「ミルキーホームズ」や「ミューズ」(ラブライブ!に登場する架空の9人組女性アイドル)の一員として活躍しています。
文化人で駒澤大学の著名な卒業生
久保田 利伸(くぼた としのぶ) 駒澤大学経済学部経済学科卒業
シンガーソングライターや音楽プロデューサーとして活躍している彼は、高校卒業後、駒澤大学経済学部経済学科へ進学します。
在学中は軽音楽部ロック研究会に所属しバンドを結成していたそうです。
好きな音楽のルーツがアフリカとのことで、大学のゼミはアフリカ研究会で、卒論もアフリカの音楽をテーマにしています。
卒業後は音楽業界に入り、自身もR&Bシンガーとして活動していますが、さまざまな歌手にも楽曲を提供しています。
ブラザートム 駒澤大学仏教科二部
日本の歌手、俳優、タレントで、日本名は小柳富。
旧名トーマス・アキオナ・アキマ・ジュニア。
父親はハワイ先住民マウイ族アメリカ人、母親は日本人で自身は日本国籍をとっている。
高校時代、バンドを組んで音楽活動をしていました。卒業後も働きながらアマチュアで音楽活動も続けていました。
バンド宣伝のためテレビ番組に出演してからコメディアンとして活動を開始、現在も月1本はネタを書いています。
歌手として紅白歌合戦への出場、ソロ活動をしているなかで、2005年に社会人入試で大学入学しています。
白藤 ひかり(しらふじ ひかり) 駒澤大学文学部国文科卒業
津軽三味線奏者。
1990年、福岡県北九州市に生を受け、兵庫県川西市で育ちます。駒澤大学文学部国文科卒業します。
2002年、津軽三味線弘前全国大会ジュニア級で優勝をしたのを皮切りに、様々な大会で優秀な成績を残します。
2008年に、大会で顔を合わせるうちに意気投合した共に日本一になった武田佳泉と津軽三味線デュオ『輝&輝(きき)』を結成しました。
演奏演目は、民謡、ポップ、ロック取入れ、カバー曲からオリジナルまで幅広いジャンルを扱う。
全日本津軽三味線競技名古屋大会デュオの部において、六度の優勝を果たします。
和嶋 慎治 (わじま しんじ) 駒澤大学仏教学部
ジャパメタバンド人間椅子のギタリスト、ボーカリスト、作曲家、作詞家です。
国語教師の父を持ち、読書好きで、太宰治や江戸川乱歩の小説家やニーチェ等の哲学者の著作を愛読しています。
自身が作る詞は、日本の近代文学から着想を得たものが多く、イカ天では文芸ロックと評されていました。
同い年の筋肉少女帯の大槻ケンヂ氏と交流があり、お互い大のオカルト好きなので対談もよく行っていて、「筋肉少女帯人間椅子」というコラボバンドも組みました。
スポーツ界の駒澤大学の著名な卒業生
大八木 弘明(おおやぎ ひろあき) 駒澤大学経済学部2部卒業
陸上競技の元選手でマラソンや中長距離選手の指導者でもある彼は、24歳のときに駒澤大学経済学部2部に入学します。
昼間は川崎市の市役所で働きながら練習に励み、箱根駅伝などさまざまな大会に出場し、区間賞をとったこともあります。
大学を卒業したあとはヤクルトに入社し、実業団の選手として活躍しました。
2002年には駒澤大学陸上競技部の助監督に就任し、2004年4月には監督に就任しています。
安西 秀幸(あんざい ひでゆき) 駒澤大学文学部社会福祉学科卒業
元陸上競技の選手で、マラソンなどで活躍しました。
陸上を始めたのは高校生のころからということですが、進学した駒澤大学の3年生のときには陸上競技部駅伝主将を務めています。
なお、4年生のときには陸上競技部の主将を務め、第84回箱根駅伝では区間2位という記録も持っています。
2010年に日清食品グループに移籍し、全日本実業団対抗駅伝競走などで活躍しています。
2014年には駒澤大学でコーチも務めました。
新井貴浩(あらい たかひろ) 駒澤大学
プロ野球選手。
ドラフト会議前に駒澤大学OBである野村謙二郎に素振りを見てもらい、野村謙二郎の推薦もあり広島東洋カープにドラフト6位で入団。
一年目から試合に出場するなど活躍を見せたが、アウトカウントを間違えるなどポカも多かった。
しかしながら努力の甲斐あって、2005年には43本塁打を放ち本塁打王を獲得。
WBC日本代表に選ばれるなど球界を代表する選手に成長。2007年にFA権を取得し行使を宣言。
記者会見の席で「辛いです、カープが好きだから」と発言して以降、ネット上では辛いさんと呼ばれるなど人気選手になった。
2014年に広島東洋カープに復帰し、2016年には2000本安打を放ち名球会入り。
2018年9月5日に今季限りでの引退を発表した。
チャンスでゲッツーを打つたび、ツラゲ(辛いさんが打ったゲッツーの意)とネット民が歓喜するなど、アンチからも好かれる選手だった。
今後は次世代のスターを育てるべく、球界に残り貢献して貰いたい。
巻 誠一郎(まきせいいちろう) 駒澤大学卒業
サッカー選手。弟も妹もスポーツ選手として活躍しています。
幼い頃から様々なスポーツに触れ、アイスホッケーとサッカーは高校2年まで両立していました。
2年の冬の選手権ではベスト8に貢献し、Jリーグ、スペインクラブからオファーがありました。
大学時代は1年生からスタメンで出場、4年では12得点をあげ、関東大学リーグ初優勝に導くなど活躍しました。
卒業後はジェフユナイテッド市原に入団し、2006年のワールドカップ日本代表に選出されました。
海外クラブを経験し、J2に戻ったあとは目立った活躍はないものの、ロアッソ熊本に移籍してから途中交代などで切り札的な活躍をしてチームに貢献しています。
清水聡(しみずさとる) 駒澤大学経営学部
日本のプロボクサー。
2012年ロンドンオリンピックバンタム級銅メダリスト。
北京オリンピックフェザー級日本代表。
中学3年生の頃、父の友人が会長を務めるジムでボクシングを始め、この頃から五輪を目指していました。
高校卒業する頃、プロ転向を何度か勧められ、破格の金額の提示やマッチメイクを提案されたが、チャンピオンベルトよりもメダルの方が何倍も価値があるとしてアマチュアボクシングにこだわって続けています。
高木 三四郎(たかぎ さんしろう) 駒沢大学卒業
プロレス団体「DDTプロレスリング」の代表取締役にして、選手としては「業界一大人げない大社長」としてインディープロレス界ではその名を轟かせています。
それまでのプロレス界の常識をあらゆる方面から覆してきた業界屈指のアイディアマンとしても有名で、たった3人で創設したDDTを、プロレス界でも指折りの知名度と規模にまで成長させました。
前半戦での盛り上げ的存在としての他に、家財道具を使ったハードコアマッチやDDTの代名詞とも言える路上プロレスでのハチャメチャな戦いを得意にする選手でもあります。
中畑清(なかはたきよし) 駒澤大学経営学部卒業
大学時代に野手として活躍し、ベストナイン入りや全日本入りを果たす。
プロ野球では巨人に入団。1980年代の巨人打線の主力として活躍する。引退後は解説者を経て、長嶋監督率いる巨人で打撃コーチを務める。
またその後はアテネオリンピック野球日本代表のヘッドコーチや横浜DeNAベイスターズの監督も務めた。監督退任後は再び野球解説者・スポーツ評論家として活躍している。
ちなみに2010年には国政選挙にも挑戦したことがあるが落選している。
河原純一(かわはらじゅんいち) 駒澤大学経済学部卒業
大学時代に投手として大活躍。ドラフトの目玉として巨人に入団。
一年目から8勝を上げた。特に凄かったのは抑えとして活躍した2002年。
パワフルな速球で5勝28セーブを記録した。チームの中でもその年に就任した原辰徳監督の初優勝に貢献した。その後は不調に陥りトレードで西武に移籍した。
また晩年は怪我に苦しみ思うような成績は残せなかったが、中日に移籍するなどして現役として最後まで闘志を燃やした。
野村謙二郎 駒澤大学卒業
90年代、2000年代前半に広島東洋カープで活躍した元プロ野球選手。
主にショートを守り、また3回の盗塁王の獲得、1995年にはトリプルスリー(打率3割、30本塁打、30盗塁)を達成するなど走攻守において優れた選手であった。
まだイチローのメジャー挑戦前の時代に、最もメジャーに近い選手の一人として挙げられた。2010年から5年間広島東洋カープの監督を務め、球団史上初のクライマックスシリーズ出場に貢献。現在は、野球解説者をしながらも広島大学大学院に通う学生でもある。
石毛 宏典(いしげ ひろのり) 駒澤大学卒業
1980年代から90年代前半に活躍した元プロ野球選手。
ショートを守りながらも、1年目から首位打者争いをするなど走攻守揃った選手として西武ライオンズの黄金期を築いた。
2002年にオリックスブルーウェーブ監督に就任も、翌年不振のため解任。
その後、その後四国アイランドリーグの代表取締役に就任も4年後に任期満了に伴い退任。
関西独立リーグの最高顧問に就任も、ほどなく退任。
現在は城西国際大学の客員教授をする傍ら、千葉商科大学付属高校の非常勤のテクニカルアドバイザーを務めている。
高橋 尚成(たかはし ひさのり) 駒沢大学卒業
元プロ野球選手、銚子商業時代に甲子園出場後、駒澤大学を経て巨人に入団しました。
148キロのストレートを武器にした速球投手です。
巨人のあとは、アメリカメジャーリーグに移籍。
メッツ、パイレース、ロッキースなど数チームを経験し、最後は日本のDenaで選手生活を終えました。
巨人時代には、優勝の祝勝会で尻を出したパフォーマンスをテレビで報道され、当時監督をしていた長嶋茂雄氏から「宴会部長」のあだ名をつけられていました。
武田久(たけだ ひさし) 駒沢大学卒業
中学2年生までは内野手で3年生から投手として活躍し始めました。
甲子園出場経験はないが、駒沢大学に入学し東都大学野球で投手として登板経験があります。卒業後は日本通運に入社し、2001,2年と都市対抗野球に出場します。
2002年ドラフト4位で日本ハムに入団します。
2009年のレギュラーシーズンは無敗で最多セーブ投手となり、計3度セーブ王に輝きます。
12年には初の月間MVPとなり、優勝に貢献しました。
しかし、2017年日本ハムを退団し、古巣の日本通運に戻り、選手兼コーチとして復帰しました。
政治・経済界の駒澤大学の著名な卒業生
寺田和正(てらだ かずまさ) 駒澤大学経営学部卒業
広島県出身で、大学在学中に、カナダへ留学しました。
そこで、皮のジャンパーや毛皮に注目し、オーダービジネスを始めます。
大学卒業後、野村貿易に数年勤めて、25歳の時に、海外ブランドの輸入代理店会社を設立しました。
その後、輸入品を扱うビジネスに限界を感じ、自らブランドを立ち上げることにしました。
1994年、バッグやアクセサリーなどを企画から製造販売まで、全部の工程を会社で行い、女性に人気の「サマンサタバサジャパンリミテッド」を立ち上げました。
浜田靖一(はまだやすかず)専修大学経営学部卒業
防衛大臣や防衛庁副長官、防衛政務次官、安全保障委員長を歴任する自民党の議員です。
父親は、政治家の浜田幸一さんです。
千葉県に生まれ、高校卒業後、アメリカに留学し、大学卒業後、父親が親しい関係にあった渡辺美智雄さんの事務所で働き、秘書官などを務めました。
その後、1993年、父親の引退に伴い、衆議院議員選挙で立候補をし当選を果たしました。
強面で知られた父親と対照的に穏やかな性格で、TV番組やマスコミへの露出は、好まない人です。
川口勝(かわぐち まさる) 駒澤大学経済学部経済学科卒業
神奈川県出身。
バンダイナムコホールディングス取締役、常務取締役、専務取締役、代表取締役社長就任を経て、2018年現在BANDAI SPIRITS代表取締役社長。
「妖怪ウォッチ」、「仮面ライダーゴースト」、「かみさまみならい ヒミツのここたま」、「プリキュアシリーズ」等の製品を世に送り出した。マッキントッシュ互換のインターネットマシン「ピピンアットマーク」の開発に携わるも失敗、約260億円の損失を出したという過去を持つ。
山本 剛正(やまもと ごうせい) 駒澤大学経営学部卒業
政治家。昭和47年の元旦生まれ。
小学校・中学校時代は野球に明け暮れ、高校時代はラグビー部で主将も務めたスポーツマンです。
大学時代は北海道を自転車でほぼ一周というエピソードも持っています。
その後民間企業のビジネスマンや政治家秘書を経て、平成21年の総選挙で当時総理だった麻生太郎氏と戦い、当選を果たします。
政治家としては中小企業政策や地熱発電の普及、自動車税の軽減に尽力しました。
現在も政治家として活躍しています。
その他の駒澤大学の著名な卒業生
DJ社長 駒沢大学経済学部
高校卒業後して2年後に駒沢大学経済学部に入学しました。
彼は経済を学び、先生にどうしたら社長になれるか、率直に質問しました。
その時に気づいたそうです。この人は社長じゃないと。
それから、彼は若いながら飲食店の経営者になりました。
だが経営も厳しくなりお店を閉店させました。
そのあと有名になることを考えて、DJを学びクラブハウスでDJを回していました。
後に仲間と共にYouTubeで動画をあげ、現在は”レペゼン地球”というユーチューバーで活躍しています。
近々10000人限定ライブを開き人気絶頂に至ります。