武蔵野美術大学著名な卒業生30選|まさかのあの有名人も?

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武蔵野美術大学の著名な卒業生は?

武蔵野美術大学は美術大学として有名な大学です。

今回は、武蔵野美術大学の著名な卒業生を紹介させていただきます。

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芸能人

林家たい平(はやしや たいへい) 武蔵野美術大学造形学部

埼玉県立秩父高校を経て武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科に入学し、在学中に落研サークルで落語をはじめます。

林家こん平に弟子入りを志願するもののすぐには認められず、林家こんぺいの師匠である故・林家三平宅で一年間修行したあと、正式に弟子入りが認められます。

若手落語家として注目を集め2000年には真打に昇格、2006年、多発性硬化症を患った師匠こん平の代わりに「笑点」に出演、正式にメンバーになり、現在は故郷の秩父をネタにして笑点を盛り上げています。

リリー・フランキー(りりー・ふらんきー) 武蔵野美術大学卒業

マルチタレント。

俳優、イラストレーター、ライター、絵本作家、小説家、デザイナー、ミュージシャンなど多彩な顔を持っています。

著者「おでんくん」はアニメにもなり有名です。

「東京タワー」は母との感動的な泣ける話として大ベストセラーになりました。

最近は俳優としての印象が強く、「そし父になる」「万引き家族」などのヒット作に立て続けに出演し、アカデミー賞なども受賞しています。

趣味は寝ることで自他ともに認める遅刻魔だそうです。

多才ぶりとは裏腹にどこかひょうひょうとしたたたずまいが魅力的な人物です。

城戸 真亜子(きど まあこ) 武蔵野美術大学油絵学科卒業

洋画家やタレントとして活動している城戸真亜子は、桐朋女子中学校、高等学校を経て武蔵野美術大学に入学します。

大学在学中はボクシング部のマネージャーをしていたそうですが、当時からモデルとして活動をしていました。

昭和56年にカネボウ化粧品キャンペーンガールに選ばれたことで顔を知られるようになり、映画デビューも果たしています。

なお、昭和59年には歌手として「やさしく描いて ~カシニョールの女のように~」を発表しています。

漫画家

辛酸 なめ子(しんさん なめこ)武蔵野美術大学短期大学部卒業

漫画やコラムニストとして活躍する辛酸なめ子さんは、独特な絵柄や皮肉な表現の作風で人気があり、武蔵野美術大学短期大学部在学中から創作活動を行っていました。

95年にはフリーペーパーで開催されたグランプリで受賞し、95年には「女・一人日記」というサイトを開設しました。フリーペーパーでの受賞をきっかけに連載を開始し、数多くの書籍も発表しています。

学生時代に友人から薄幸そうに見えると言われたため、辛く苦しい目に遭うという意味を持った辛酸をなめるという言葉をペンネームに使ったそうです。

みうらじゅん 武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業

漫画家やミュージシャン、小説家、評論家など幅広い活動をおこなっている彼は、高校時代から絵描きを目指したそうで、二浪の末、武蔵野美術大学に入学します。

1980年には雑誌ガロでデビューを果たしており、その後、週刊ヤングマガジンのちばてつや賞で佳作を受賞しています。

1990年代に入ると女装バンドを結成し、ボーカルやギターを担当しました。

なお、仏教マニアとしても知られており、各地の仏像を見て回る「見仏記」はDVDでシリーズ化もされています。

黒鉄 ヒロシ(くろがね ひろし) 武蔵野美術大学商業デザイン科除籍

高知県高岡郡出身の漫画家・コメンテーター。

私立土佐高校卒業後に武蔵野美術大学商業デザイン科に入学しましたが、後に除籍されています。

漫画作品は歴史ものが多く、『新撰組』で文藝春秋漫画賞、『坂本龍馬』で文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞を受賞しています。

コメンテーターやバラエティタレントとしても活動していて、クイズダービーやマジカル頭脳パワーなどで人気を博しました。

本名は竹村弘ですが、実家である酒造メーカーの屋号を使ってペンネームを黒鉄ヒロシとしました。

西原 理恵子(さいばら りえこ) 武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科卒業

日本のエッセイ漫画、突撃取材漫画の草分け的存在です。

自分に画力がないことを早く自覚して、エロ本のカット描きでデビューしました。

幼少期の複雑な家庭環境、結婚した相手がアルコール依存症という逆境に負けずに漫画を書き続けています。

下品なものから心にしみる感動的なものまで幅広いジャンルの漫画を描かれます。

実父・亡夫がアルコール依存症とDV加害者で辛い時期があったため、アルコール依存症とDVの啓発活動を漫画を書きながら精力的に行っておられます。

今 敏(こん さとし) 武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン科卒業

アニメーション監督、漫画家。

1982年武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン科入学し、在籍中に第10回ちばてつや賞(ヤング部門)優秀新人賞を受賞し、ヤングマガジン(講談社)で漫画家としてデビューしました。

これをきっかけに大友克洋のアシスタントとして働き始めます。

1987年に同大学を卒業し、1990年初の単行本『海帰線』(講談社刊)を出します。

この頃、アニメーション『老人Z』に美術設定として加わり、アニメーションの世界にも活動の幅を広げます。

1997年、初アニメーション監督作品として、『パーフェクト・ブルー』を手がけ、アニメーション監督として高い評価を得ました。

2010年、末期の膵臓癌であることが発覚し、発覚から約3ヵ月後に亡くなりました。

島田 荘司(しまだ そうじ) 武蔵野美術大学卒業

小説家、推理作家。広島県に生まれ、武蔵野美術大学に進学しました。

1981年に「占星術殺人事件」でデビュー。

その後、代表作である御手洗潔シリーズ、吉敷竹史シリーズといった作品を世に送り出し、本格ミステリーの作家として不動の地位を築いています。

作品はトラベルミステリーから社会派ミステリーまで幅広く、映像化、コミック化されたものも多くあります。2008年には日本ミステリー文学大賞も受賞しました。

柴田亜美(しばたあみ) 武蔵野美術大学短期大学部卒業

日本の漫画家。

卒業後は転職をし、リクルート社のイラストレーターとして就職をした後、友人に誘われて、『ドラゴンクエスト4コママンガ劇場』に執筆を始める。

『ニセ勇者』シリーズで人気を博し、出版社からの誘いを受けてプロへと転身。

デビュー後は『南国少年パプアくん』などアニメ化されるほどの人気漫画を執筆。

最近でか美容分野にも興味を持ち、『女漫画家の極限美容』という美容ブログを開設したり、プライベート美容サロンを開いたりなど美容家としての活動も行っている。

松本次郎(まつもとじろう) 武蔵野美術大学造形学部彫刻学科卒業

松本次郎は日本の漫画家である。

1992年、在学中に『リトルフィート』でモーニングちばてつや賞にて準大賞受賞しデビュー。

2001年より「月刊IKKI」にて『フリージア』を連載。同作品は2007年に熊切和嘉監督により映画化された。

荒いタッチの線で描かれるのが特徴でありこの作風は、沙村広明や鬼頭莫宏などからも賞賛を受けている。

デビュー以来多くの作品を生み出し現在も「月刊コミック乱」にて『いちげき』(原作・永井義男)を連載中である。

深谷かほる(ふかやかほる) 武蔵野芸術大学デザイン科卒業

日本の漫画家。

大学卒業後は美術館でのアルバイトなどをしながら学生誌びカットを持ち込むなどをするも採用とまではいかず、編集者のアドバイスで漫画を描き始め、1987年の雑誌「プチフラワー」の12月号に掲載された「毎日が日曜日」でデビューを果たす。

デビュー後もさまざまな漫画を描き、「ハガネの女」や「カンナさーん!」などはテレビドラマ化もされた。

2017年「夜廻り猫」で第21回手塚治虫文化賞、第5回ブグログ大賞のマンガ部門の大賞を受賞するなど活動を続けている。

文化人 くらもちふさこ 武蔵野美術大学造形学部中退 “漫画家。妹も倉持知子という名の漫画家です。

高校の頃にメガネちゃんのひとりごとという作品でデビューします。その後数々の作品を発表しています。

当時の少女漫画の主流だったヒロインものから、ふつうの主人公の気持ちをゆっくりと深めていきながら歩んで行くという、心理描写を主体とした手法が大きな影響を与えました。

NHK連続テレビ小説の「半分、青い」の中で主人公の鈴愛がハマって読んでいたのが名作と言われていた「いつもポケットにショパン」でした。当時のくらもちファンの心をがっちり掴んだシーンだと思います。

倉持 房子(くらもち ふさこ) 武蔵野美術大学造形学部 (中退)

1972年にデビューした漫画家。性別は女性で血液型はA型。

1972年に、「メガネちゃんのひとりごと」(『別冊マーガレット』)でデビュー。

思春期の女性の恋愛を独自の視点で描き、幅広い人気を得た。

1980年「いつもポケットにショパン」がヒットする。

続いて、1982年「いろはにこんぺいと」が大ヒットした。

「いつもポケットにショパン」はNHK朝の連続テレビ小説「半分、青い」にも登場し話題を呼んだ。

小説家・作家

村上 龍(むらかみ りゅう) 武蔵野美術大学造形学部中退

小説家。本名村上竜之介。

高校時代にヒッピー文化の影響を受け、ロックバンドを作り、映画制作などもしていたそうです。

大学在学中に「限りなく透明に近いブルー」を描き衝撃的なデビューを飾りました。

芥川賞龍之介賞を受賞しましたが、選考会での評価も真っ二つに分かれたそうです。

当時の代表作に「コインロッカーベイビーズ」「愛と幻想のファシズム」などがあり、
村上春樹とともに時代を代表する作家と評されました。

その後も「トパーズ」「13歳のハローワーク」など様々な本を出版しています。

近年はエッセイなどを通し、経済、社会現象に対しても様々な考えを発していて、影響力の強い人物です。

伊藤 計劃 (いとう けいかく) 武蔵野美術大学造形学部映像科

SF作家。

2007年『虐殺器官』でデビューを果たします。数多くの賞を受賞しており、その作品は日本SFベストとされています。

デビュー後はわずか3年程で若くして34歳でこの世を去りました。

死因はユーイング肉腫という珍しいがんだったそうです。

遺作となった『ハーモニー』では故人で初めての日本SF大賞を受賞しました。

死後は生前書き残していた長編小説の冒頭30枚の原稿を同時期にデビューして親しかった円塔城に託し『屍者の帝国』を合作として完成させた。

佐野 洋子(さの ようこ) 武蔵野美術大学デザイン科卒業

絵本作家であり、「100万回生きたねこ」はロングセラーを記録し、代表作として有名です。

幼少期に多くの肉親を亡くした経験が、家族をテーマとした作品の作風へとつながっています。

プライベートでは、詩人谷川俊太郎と結婚するも離婚。

その後は、北軽井沢に転居し絵本だけでなく、児童文学、エッセイなどの制作を続けていました。

2004年に乳がんの摘出手術を受けますが、骨転移が発覚します。闘病の末、2010年乳がんの為、なくなりました。

内館 牧子(うちだて まきこ) 武蔵野美術大学卒業

作家、脚本家。

秋田県に生まれ、武蔵野美術大学に進学しました。

その後OL生活を13年半経験し、脚本家としてデビューしました。

これまで「毛利元就」「ひらり」「私の青空」などの脚本を手掛けています。

最近では、定年退職後の不完全燃焼な生活を描いた「終わった人」はベストセラーとなり映画化もされました。

また「カネを積まれても使いたくない日本語」では美しい日本語を指南しています。

文壇の外でも活躍し、横綱審議委員も務めました。

赤瀬川 原平(あかせがわ げんぺい) 武蔵野美術学校油絵学科中退

1937年に生まれ2014年に死去した美術家、作家です。

生まれたのは神奈川県ですが、父親の仕事の都合で幼少期は引っ越しを繰り返しました。

絵が好きな友人の勧めで武蔵野美術大学の前身である武蔵野美術学校に進学しましたが、途中で仕送りが途絶え卒業はしませんでした。

1958年から前衛芸術作品を発表し話題を集めたものの、千円札をモチーフにした作品で裁判沙汰となり前衛芸術から遠ざかります。

小説を書き始めたのは編集者・村松友視のすすめで、1981年には『父が消えた』で芥川賞を受賞しました。

深沢 美潮(ふかざわ みしお) 武蔵野美術大学造形学部卒業

ライトノベルを中心に執筆する小説家です。

大学卒業後はコピーライターやテクニカルライターとしての勤務経験があり、ゲームの取扱説明書を書いた経験もあるそうです。

1989年に『フォーチュンクエスト』で小説家デビューし、同作はアニメやゲーム、ラジオドラマなど色々なメディアに展開されていて、30年近く連載が続いています。

その他の代表作としては『デュアン・サーク』や『IQ探偵ムー』が挙げられ、後者は朝日小学生新聞で連載されていたので多くの子供たちに知られています。

ミュージシャン

草野マサムネ 武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科卒業

シンガーソングライター。ロックバンドスピッツのボーカリスト兼ギタリスト。

福岡県福岡市出身で地元の高校を卒業後、東京造形大学に入学したが中退し、武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン学科へ入学した。

1987年東京造形大学での同級生でバンド仲間だった田村明浩らと再度バンドを結成した。

1991年にメジャーデビューし、1994年「空も飛べるはず」などで大ヒットし、その後も数々の名曲を世に出している。

スピッツのほとんどの曲を作詞・作曲しており、作詞・作曲の際の名義は本名の「草野正宗」を用いている。

PUFFYや平井堅など他アーティストへの楽曲提供もしている。

若旦那(わかだんな) 武蔵野美術大学造形学部中退

ミュージシャンとして活動している彼は、レゲエグループ「湘南乃風」のメンバーでもあります。

少年時代は不良だったという彼ですが、湘南乃風を結成すると同時にインディーズレーベル134LABELも立ち上げます。

2010年にはエイベックスから新レーベルTank Top Recordsを設立し、ソロとしての活動も始めています。

サングラス姿がトレードマークでしたが、素顔でメディアに露出するようにもなり、2017年にはTBSドラマの「下剋上受験」で役者としてもデビューしています。

俳優

中尾彬(なかお あきら) 武蔵野美術大学油絵学科中退

高校時代に油彩画で美術展に入選し、絵の才能を持っており、1961年武蔵野美術大学油絵学科に入学します。

しかし、翌年日活ニューフェイスに合格し、映画デビューを果たします。

ただ絵の道を諦めきれず。

大学を中退してフランスに留学するも、数年で帰国し演劇の道を再度目指すようになります。

俳優業を続けながらも個展を開くなと絵を描き続けています。

妻の池波志乃とは共演がきっかけで再婚します。

ネクタイが嫌いでマフラーのぐるぐる巻を好む事から今ではそれがトレードマークとなっています。

六平直政 武蔵野美術大学彫刻科卒業

ホリプロ所属の俳優。

彫刻家を目指していたこともあり、彫刻の腕と溶接の資格を活かし「舞台美術をやりたかった」と劇団状況劇場に応募し合格。

劇団を経て新宿梁山泊の旗揚げに参加。「ジャズ大名」で映画初出演した。

劇団に入ってからは下積み時代が続き、多くのアルバイトを経験。故石原裕次郎の葬儀の際は会場設営の仕事もした。

現在はその独特な強面を活かして様々な役柄をこなす個性派俳優としてドラマ・映画・舞台・CMと幅広く活躍中。

現在放送中のNHK連続テレビ小説「まんぷく」にも出演しており存在感を発揮している。

息子は清水エスパレスに所属するプロサッカー選手。

その他

グラフィックデザイナー はらけんや 武蔵野美術大学院修士課程修了

グラフィックデザイナーとして活躍しており、無印良品のボードメンバーや広告などのデザインで注目されています。

1998年に開催された長野冬季五輪の開会式と閉会式のプログラムを手掛けたり、山口県にある梅田病院のデザイン計画も行いました。

2000年にはDESEIGN展で世界インダストリアルデザインエンナーレ大賞を受賞、2001年は松屋銀座のリニューアル計画に携わり、2005年には愛知万博のプロモーションを担当しています。

2015年には2020年に開催が決定したの東京五輪の公式エンブレム入選まで残り、日本文化デザイン賞など多数の受賞歴があります。

なかやまみどり 武蔵野美術大学日本学科卒業

フェルトアート作家 。

1974年に愛知県生まれ。

1998年に常滑市美術展大賞受賞、2000年に武蔵野美術大学日本画学科を卒業し翌年に日本画個展を銀座で開く。

2001年には羊毛を素材とした製作活動を開始し、2002年に静岡にて二人展を開催。

2003年には銀座にてあそぼつくろわらおなどの二つの個展を開き、同年から2007年3月まで八王子市夢美術館エデュケーターに就任。

2004年以降からは三軒茶屋でお散歩日和など個展を中心に活躍している。

なかじましんや 武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン科卒業

CMディレクター。1959年福岡県生まれ。

武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科を卒業後、東北新社に入社。

1983年以降テレビコマーシャルのディレクターとして活躍し、日清食品のカップヌードルや日清ラ王を手掛け、「hungry?シリーズ」でカンヌ国際交国際グランプリを受賞し、日本人初となる。

そのほかサントリー燃焼系アミノ式「グッバイ、運動。シリーズ」が有名で2003年全日本シーエム放送連盟CMフェスティバルで総務大臣賞受賞。

そのほか1996年にウルトラマンゼアスで映画監督を務めるほか、東方新社専務取締役、武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科及びデザイン情報学科客員教授、広告学校教授などの肩書きを持つ。

伊坂 重春(いさか しげはる) 武蔵野美術大学産業デザイン学科卒業

1951年北海道生まれ。

高島屋設計部や江平建築設計事務所を経て、1981年に建築設計事務所を設立します。

1989年にはベルギーに出展し、家具部門10人の日本人に選ばれました。

その後も札幌都市景観賞、JCDデザイン賞大賞、住宅建築賞、北海道赤レンガ奨励賞、インテリアプランニング賞を次々と獲得していきます。

イベントホールの札幌メディアパーク・スピカを始め、建築・家具・インテリアなど幅広い分野で作品を世に送り出しています。

増山さやか 武蔵野美術大学造形学部基礎デザイン科卒業

日本のアナウンサー。

1989年大学を卒業後ニッポン放送に入社した。

同期には、フジテレビの木幡美子、佐藤里佳、田代尚子らがいる。

その後1999年に結婚し、2001年に長女を出産した。

夫は「MAKING SENSE」などを手掛けてきた構成作家である。

また、2003年からは現役の首相が初めてパーソナリティーを務めたラジオ番組「小泉総理ラジオで語る」を担当し、首相がブラジルを訪れた際には民間の飛行機で同行し現地で収録をしたこともある。現在もさまざまなラジオ番組に出演中である。

ケンタロウ(けんたろう) 武蔵野美術大学短期大学部生活デザイン科中退

ケンタロウは日本の料理研究家・イラストレーター、また、スカンク兄弟のメンバーである。

大学在学中からイラストレーターとして活動をはじめ、プレイステーション用ゲーム「バーガーバーガー」には料理監修・キャラクターデザイナーとして開発に携わった。

大学中退後にたまたま料理研究家の母親の事務所でみた光景をきっかけに料理研究家として活動し始める。

料理誌や若者誌などでレシピが掲載されるようになり、その後テレビ番組にも出演するようになる。

2012年にオートバイで事故にあい活動を休止中であり現在もリハビリを続けているが2018年には自身が出演していたテレビ番組にメッセージを寄せるなど活動を再開させつつもある。

栗原 正己(くりはら まさき) 武蔵野美術大学造形学部卒業

栗コーダーカルテットのメンバー。

リコーダー、ピアニカ、アンデスなどを担当している。

武蔵野美術大学造形学部視覚伝達デザイン学科を卒業。

1980年代中頃に編曲やCMの作曲の活動をはじめる。

「ピタゴラスイッチ」の音楽や、花王「キュキュット」などアニメーションや映画、テレビCMの音楽を多数手がけている。

1994年に栗コーダーカルテットを結成。近年は全国のコンサートホールなどで年間100本を超える公演を行い、幅広い世代から支持されている。

中村 史郎(なかむら しろう) 武蔵野美術大学工業デザイン専攻卒業

1950年生まれのカーデザイナー・工業デザイナー。

大阪府出身で、大阪府立北野高等学校卒業後に武蔵野美術大学造形学部工業デザイン専攻に入学しました。

大学卒業後はいすゞ自動車に入社し、2代目ピアッツァやビークロスなど個性的な意匠の自動車をデザインし話題を集めます。

1998年には自動車のデザインセンター部長に就任しましたが、翌年日産自動車にヘッドハンティングされ、数年後には同社幹部となります。

カルロス・ゴーン氏が社長に就任して以降の日産車デザインを担っています。

城戸真亜子(きどまあこ) 武蔵野美術大学卒業

女優、洋画家。

武蔵野美術大学在学中にカネボウ化粧品キャンペーンガールでデビューし、同年、映画アモーレの鐘で映画デビューしました。

その後歌手デビュー、3時に会いましょうの司会など、様々なジャンルの仕事を務めました。

画業も並行して行っており、神保町の巨大壁画、東京湾横断道路の壁画を手掛けています。

姑の介護を経験した後、現在はこどもに絵を教えるアートスクール写生会など積極的に活動をしています。

アントーニオ本多(あんとーにお ほんだ) 武蔵野美術大学卒業

プロレス団体「DDTプロレスリング」を中心に活躍しているフリーのプロレスラーで、本名は「本多 宗一郎(ほんだ そういちろう)」と言います。

また父親は渡辺哲、双子の兄・本多英一郎は俳優で、自身も大学時代は演劇を専攻。

卒業後は学生プロレスと俳優業を並行していました。

武蔵野美術大学芸術祭で行ったプロレスをきっかけにスカウトを受けて「マッスル」に登場して以来、DDTマットで頭角を現してきました。

現在はDDTのバラエティー要素には欠かせない選手の一人です。

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