立教大学の著名な卒業生は?
立教大学は、MARCHの一つとして有名な大学です。
池袋にキャンパスがあり、都会的な大学生活を送ることができ、キリスト教系の大学であることで有名でしょう。
今回は、立教大学の著名な卒業生を紹介させていただきます。
芸能界で立教大学の著名な卒業生は?
古舘 伊知郎(ふるたち いちろう) 立教大学経済学部経営学科卒業
アナウンサー、キャスター、司会者。
立教大学卒業後、1977何テレビ朝日にアナウンサーとして入社しました。
プロレス黄金期を支えたのは、アントニオ猪木の活躍と古舘伊知郎の実況ありと言われているほど、当時のプロレス実況に欠かせない存在でした。
テレビ朝日で月曜日から金曜日の晩に毎日放送をしている報道ステーションでは、番組スタート時から12年間もメインキャスターを務めました。
独特の話し方をしていて、名言も多いため、「古舘節」、「古舘語録」と呼ばれ、親しまれています。
堀田 茜 (ほった あかね) 立教大学文学部卒業
ファッションモデル。東京出身。
第12回全日本国民的美少女コンテストの本線出場をきっかけに、オスカープロモーションへ所属、芸能活動を開始しました。
立教大学在学時には、ミスキャンパスに出場し「準ミス立教」「ミスすっぴん美人」に選ばれました。
現在はCanCamの専属モデルの他、ドラマやバラエティ番組でも活躍しており、バラエティ番組での体を張ったパフォーマンスや歌下手のキャラも話題となっています。
中村 江里子 (なかむら えりこ) 立教大学経済学部卒業
フリーアナウンサー。
立教大学を卒業後、1991年にアナウンサーとしてフジテレビに入社。
同期のアナウンサーに近藤サトらがいる。
ニュースやバラエティーなど、数々の番組で活躍。1999年3月にフジテレビを退社し、フリーのアナウンサーに転向。
2000年にフランス人の実業家の男性と結婚し、現在までパリに在住。
一男二女の母となり、パリでの生活や子供たちとの日常を飾り気のない言葉で綴り、ブログやコラムで発信している。著書も多数出版している。
鈴木 ちなみ (すずき ちなみ) 立教大学卒業
ファッションモデル。
岐阜県多治見市出身で、多治見市の観光大使も務めている。
中学・高校時代は新体操部に所属していました。
高校卒業後、東京でスカウトされ芸能界デビュー、ファッション誌「with」の専属モデルに抜擢されます。
12歳から英会話を習っており、得意の英語を生かして、『めざましどようび』の海外ロケコーナー「ココ調~TOP OF THE WORLD~」のリポーターを2年間務め、人気を博しました。
野際陽子(のぎわようこ)立教大学文学部英文学科
大学を卒業後、1958年にNHKのアナウンサーとして入局しました。
大学では、初代のミス立教大学に輝く美貌の持ち主でした。
その後、1963年にNHKを退職し、広告代理店に入社しました。
その後、女優として転身しました。
ずっとあなたが好きだったの母親役がはまり、大ヒットとなり、次々に母親役として多くのテレビドラマに出演していました。
また、千葉真一さんと結婚しましたが、離婚する形になりました。
2014年にガンの手術を行い、闘病生活を送りましたが、2017年6月に亡くなられました。
南沢奈央(みなみさわ なお) 立教大学現代心理学部
女優。埼玉県出身で2006年スカウトされました。
ドラマ恋する日曜日 ニュータイプで主演デビューをしました。
CMドラマ写真集に引っ張りだこで映画舞台落語にも進出しました。
私生活では普通自動車免許を持っています。
読書が好きで現在28歳です。水泳の経験があります。
黒木メイサの舞台を見て感動して芸能界入りを決めました。
3人姉弟の次女です。姉と弟がいます。以前は人見知りがあったらしいです。好きな歌手はコブクロです。
相島 一之(あいじまかずゆき) 立教大学法学部卒業
俳優として活躍している彼は、高校卒業後立教大学法学部に入学します。
在学中から劇団に入り、演劇の道に入ります。
1987年には三谷幸喜が中心になって旗揚げした劇団東京サンシャインボーイズに加入し、舞台やテレビドラマ、映画などさまざまな作品に出演します。
なお、音楽好きとしても知られており、ブルースバンドを結成し、作詞をしたり、ボーカルやブルースハープの演奏者としてライブ活動を行っています。
みのもんた(みのもんた) 立教大学経済学部卒業
フリーアナウンサー、タレントとして活躍しています。
立教大学では放送研究会に入り、ラジオドラマをやっていたそうです。
卒業後は文化放送に入社し、アナウンサーとして活動しました。
司会者としてテレビ番組に出演したこともあり、2004年と2005年の長者番付芸能人の部では1位になりました。
なお、実業家としての顔も持っており、自身が所属する事務所の株式会社ニッコクの代表取締役社長でもあります。
関口宏(せきぐち ひろし) 立教大学法学部卒業
東京出身のタレント、司会者。
小学校から大学まで立教学院に通っていました。
大学在学中に俳優としてデビューし、当初は俳優として活動していましたが、自身が司会を務めた番組が人気となり、司会者として注目を集めるようになりました。
担当する番組が後に長寿番組となることも多く、出演する番組の視聴率の合計が100%を超え、「視聴率男」との異名を取りました。
自身の生業を「テレビ屋」と表現するように、テレビ界で大きく活躍しています。
上重 聡 (かみしげ さとし) コミュニティ福祉学部卒業
日本テレビアナウンサー。
小学2年からやっていた野球でのスポーツ推薦で立教大学コミュニティ福祉学部コミュニティ福祉学科へ入学し、硬式野球部に所属して投手陣の主力として活躍されていました。
4年では主将を務めていましたが、ひじの故障に悩まされて思うような投球が出来なかったことで、せっかくプロからの声がかかっていたのに自らその進路を断念されました。
大学3年頃からアナウンサー志望を表明してセミナーに参加していたようで、高校時代に甲子園出場時のインタビューを受けたことがアナウンサーになるきっかけとなったと語られています。
そんな経験を生かして現在はアナウンサーとしてスポーツ中継をしたり、情報番組の司会なども担当しています。
本田 朋子(ほんだ ともこ) 立教大学観光学部卒業
フリーアナウンサー。本田朋子は1983年愛媛県生まれ。
大学入学後から読者モデルの仕事をし、2002年にミス立教に選ばれます。
それがきっかけで芸能・アナウンサー事務所のセント・フォースに入り、そこで勧められてオーデイションを受け「感動ファクトリー・すぽると!」金曜日担当アシスタントキャスターに抜擢されました。
その後、2006年にフジテレビにアナウンサーとして入社し、再び「すぽると」を担当するなど、主にスポーツ番組などで活躍しました。
2013年7月に男子バスケットボール選手の五十嵐圭選手と結婚し、その年の9月にフジテレビを退社しました。
その後はフリーアナウンサーとして活躍していますが、今年7月に第一子を妊娠していることを公表しました。
徳光 和夫 立教大学社会学部卒業
長島茂雄監督をこよなく愛し、ジャイアンツをこよなく愛すということで有名な元アナウンサーです。
また涙もろいことでも有名でチャリティ番組などでもたびたび号泣しているシーンが印象的な人です。
徳光さん、德さんと呼ばれています。
日本テレビのアナウンサーとして有名になりました。
ズームイン朝を担当していました。
その後はフリーのアナウンサーとして司会やニュースキャスターなど幅広い分野で活躍しています。今では旅番組に出演したりもしています。
宇賀 なつみ(うが なつみ) 立教大学社会学部卒業
大学卒業後の2009年に、アナウンサーとしてテレビ朝日に入社し、入社当日に「報道ステーション」の2代目気象キャスターとして、番組デビューを果たしました。
2014年からは、平日早朝の情報番組「グッド!モーニング」のサブキャスターに異動し、2015年からは「羽鳥慎一モーニングショー」のアシスタントとして活躍しています。
2017年には、立教大学時代の同級生だった会社員男性と結婚しました。
戸部 洋子(とべ ようこ) 立教大学経済学部卒業
アナウンサー。1999年のミス立教大学に選ばれました。
2003年、アナウンサーとしてフジテレビに入社し、朝の情報番組「めざましテレビ」などで活躍しました。
2011年から2013年までは「めざにゅ~」のメインキャスターを務めました。
2012年に一般男性と入籍し、2017年には第一子を出産しました。
現在、BS放送などではニュースを読みますが、基本的にはバラエティ番組の担当が多くなっています。
フジテレビの同期には石本沙織アナ、長野翼アナ、田中大貴アナがいます。
高橋 花林(たかはし かりん) 立教大学文学部卒業
青ニプロダクションに所属している声優です。
祖父の影響でアニメの主題歌などを聞いて育ち、幼少期の夢は歌手でした。
高校在学中からオーディションに参加しており、2012年にポニーキャニオン主催のオーディションでグランプリに選ばれ、翌年に遠藤ゆりかさんとユニットを組んでCDデビューを果たしました。
立教大学は2017年に卒業しましたが、在学中も声優として活動しており、「絶対迷宮 秘密のおやゆび姫」の氷姫スヴィア役や「アイドルマスター シンデレラガールズ」の森久保乃々役などを演じています。
東海林 のり子 (しょうじ のりこ) 立教大学文学部卒業
芸能リポーター。
大学卒業後、ニッポン放送のアナウンサーをしていました。
退社後、フリーランスの芸能リポーターとして、多くのワイドショーに出演していました。
「現場の東海林です」は、有名なフレーズですが、実際は言ったことがないそうです。
阪神淡路大震災で、ものすごい現場に立ち、とてもテレビでは伝えきらない。
色んな人の色んな人生を支えきれない。
これ以上伝えるのは無理とレポーターとしての活動に終止符を打ちました。
83歳にしてミュージカル初挑戦。
現在は講演活動をおもになさっています。
土居 まさる (どい まさる) 立教大学経済学部卒業
アナウンサー、タレント、司会者。
大学卒業後、文化放送入社。
数年は野球中継アナウンサーとして活躍していました。
その後、深夜放送のディスクジョッキーに転向、最初に担当した「真夜中のリクエストコーナー」は、日本初の深夜放送ラジオ番組と言われています。
フリー司会者に転向し、一躍全国区となった「TVジョッキー」の奇人変人コーナーに出演した方がゴキブリを食べて亡くなったとの都市伝説がありますが、デマです。
軽快な話術で、バラエティやクイズ番組でたくさんの司会をされておりましたが、まだ58歳と言う若さで癌で亡くなりました。
大野 拓朗(おおの たくろう) 立教大学コミュニティ福祉学部スポーツウエルネス学科卒業
俳優。
中学時代・高校時代とバスケットボール部に所属して、一年間宅浪した後に立教大学コミュニティ福祉学部スポーツウエルネス学科に入学されました。
高校在学中は3年連続でミスターコンテストで優勝されて、2009年立教大学は第25回ミスター立教に選出されたことがあるそうです。
2010年に俳優デビューして数々のドラマや映画で活躍され、NHKの天才テレビくんでのMCとNHK連続テレビ小説への出演で子どもから大人にまで知名度を広げました。
福田 典子(ふくだ のりこ) 立教大学経営学部経営学科卒業
アナウンサー。
福岡県出身の福田典子さんですが、中学校~高校と一貫性の進学校に通っていました。
立教大学では軟式野球サークルのマネージャーを務めていたり、広告研究会にも所属して大学でのイベントの運営に携わっていたそうです。
この大学時代からアナウンサー志望で、大学3年の時にはBSフジNEWSで第21期女子大生キャスターを務めたこともあります。
大学卒業後にはRKB毎日放送に入社して、2016年にはテレビ東京に入社して人気番組を担当したことで、これから徐々に活躍の幅が広がりそうな予感のアナウンサーです。
本郷 功次郎 (ほんごう こうじろう) 立教大学文学部卒業
俳優。往年の大スターです。
大学では柔道部でした。黒帯を締めた写真を叔母が持ち歩いていたところ、知人の大映重役の目に留まり社長に見せた所、すぐ連れてこい!となったのですが本人は俳優業はあまり乗り気ではありませんでした。
なのでその時の事を冗談めかして、「拉致られた」と笑っています。
デビュー作、講道館に陽は上るでの撮影では、地面に敷かれたマットを見て、下は土だからそんなものいらないと、吹き替えなしで行ったので大映の社長は大喜び。「この男をスターにしろ!」と、号令をかけました。
小林由未子(こばやし ゆみこ) 立教大学法学部
TBSのアナウンサーです。
好きな食べ物は煮物。
趣味はダンス、ヨガで、特技はジャズダンスです。
埼玉県出身。中学生の頃アナウンサーに憧れていた。
立教大学在学中にモデル事務所boozeに所属していました。
TBS入社前に沢山のCMに出演していました。
2013年にTBSテレビに入社しました。
現在レギュラー番組Nスタをもっています。
初めての仕事は夏サカス2013年のお仕事です。
大野拓朗 立教大学コミュニティ福祉学部スポーツウエルネス学科
俳優。東京都出身。埼玉県さいたま市育ち。
高校時代はバスケットボール部に所属し、立教大学コミュニティ福祉学部スポーツウエルネス学科に、拓朗という名の通り一年間宅浪して入学した。
浦和高校在学中にはミスター・コンテストで三年連続優勝している。
立教大学では2009年の第25回ミスター立教に選ばれている。
2010年にホリプロ創業50周年記念事業として開催された「キャンパスター☆H50」でグランプリ受賞し、芸能界へ入る。
数々の映画やドラマに出演し、最近では「とと姉ちゃん」や「わろてんか」で朝ドラにも出演している。
佐伯 大地 (さえき だいち) 立教大学現代心理学部卒業
俳優。
2010年、ホリプロ主催の「キャンパススター★H50withメンズノンノ」でファイナリストに選ばれた後、芸能界デビューしました。
舞台やミュージカルに多く出演しており2018年4月から6月まで日本テレビで放送されていたテレビドラマ「崖っぷちホテル!」では存在感ゼロのウエイター服部要蔵役を見事に演じました。
舞台での演技がとても評価されていてルックスの面でも巷では「かっこいい!」と言われています。
川久保 拓司(かわくぼ たくじ) 立教大学経済学部経営学科卒業
俳優。1981年、東京の大田区に生まれます。
2003年、立教大学経済学部経営学科を卒業します。
在学中には、「ミスター立教」に選ばれました。
大学を卒業する年の三月、三輪明宏演出の舞台『黒蜥蜴』に出演し、俳優デビューを果たします。
翌年には、『ウルトラマンネクサス』において、前例のない一度も変身をしない主人公を演じます。
2006年に放送された『紅の紋章』では、主人公に好意を抱きつつ、母親として受けれいれ、妹の心配をする、自分の思いと葛藤しつつ周りを見て動く、好青年のイメージを決定づけました。
2011年からは、お笑いコンビのカラテカと、月に一回のトークライブを催しています。
文化人の立教大学の著名な卒業生は?
細野晴臣(ほそのはるおみ) 立教大学社会学部観光学科卒業
ミュージシャン。
祖父がピアノ調律師で、もともと音楽に触れる機会の多い家系に育ち、立教高等学校から立教大学へ進学し、ベースを始めました。
「エイプリル・フール」のベーシストとしてメジャーデビューの後、大瀧詠一らと共に「はっぴいえんど」を結成しました。
はっぴいえんど解散後、ソロで活動したり、様々な活動をしますが、坂本龍一、高橋幸宏との3人ユニット「Y.M.O.(イエロー・マジック・オーケストラ)」が、ブームを巻き起こす程の人気を博しました。
2008年には文部科学大臣賞を受賞しました。
葉 祥明 (よう しょうめい) 立教大学経済学部卒業
絵本作家。熊本市生まれ。
祖父の代に日本へ渡来した中国人の家系で、自身は30代で日本国籍となりました。
建築家のお兄さんが居ます。
立教大学卒業後、セツ・モードセミナーを卒業し、その後ニューヨークのアートスチューデンツ・リーグに留学、油絵を学びました。
特定非営利活動法人、難民を助ける会で、絵本「地雷ではなく花を下さい」を、ボランティア活動として描いてます。
その中に登場する主人公、うさぎのサニーちゃんは難民を助ける会のメインキャラクターです。
さくま あきら 立教大学経済学部卒業
漫画原作者である小池一夫さんの一番弟子と言われるゲームライター。
RPG「桃太郎伝説」や大人気ボードゲーム「桃太郎電鉄」生みの親です。
自身が大きな影響を受けたとする作曲家のすぎやまこういちさんにあやかって、ペンネームを平仮名にしました。
一浪の末に立教大学へ入学し、在学中に漫画研究会に所属したことで「ドラゴンクエスト」シリーズの生みの親と知られる堀井雄二さんと出会い、卒業後に仕事を共にする仲になりました。
西岸 良平(さいがん りょうへい) 立教大学経済学部卒業
東京都世田谷区出身の漫画家です。
在学中は漫画研究会に所属しており、1972年に「夢野平四郎の青春」で第8回ビッグコミック賞佳作一席に入選後、本格的にデビューしました。
1974年に連載を開始した「夕焼けの詩」が最大のヒット作となり、特に収録作品のほとんどである「三丁目の夕日」はアニメ化、舞台化、映画化までされました。
鉄道ファンとしても知られ、「三丁目の夕日」や「鎌倉ものがたり」などの作中で積極的に電鉄や交通博物館などを登場させています。
周防 正行(すお まさゆき) 立教大学文学部卒業
映画監督。
立教大学在学中に、非常勤講師の蓮實重彦の講義「映画表現論」に出会い、卒業後映画監督を目指すようになりました。
1992年『シコふんじゃった。』、1998年『Shall we ダンス?』で日本アカデミー賞を受賞しました。
2008年、『それでもボクはやってない』が2007年度キネマ旬報ベスト・テン日本映画部門の1位に選ばれ、妻である草刈民代とともにプラチナ夫婦アワードを受賞しました。
2018年より、立教大学相撲部の名誉監督に就任しています。
酒井政利(さかい まさとし) 立教大学文学部卒業
日本コロムビア、ソニーレコードの音楽プロデューサーとして数多くのミュージシャンを発掘し、育成しています。
南沙織をはじめ、フォーリーブス、キャンディーズ、山口百恵など、アイドル黄金時代と呼ばれた時期に300人あまりのアイドルや音楽グループを送り出しました。
プロデューサーとして担当した芸能人の売上累計は約3100億円にのぼると言われています。
現在はメディアプロデューサーとして、映画・舞台・テレビ番組の企画やテレビコメンテーター、講演活動などの幅広い分野で活躍する一方で、心理カウンセラーとしての活動も行っています。
伊集院静(いじゅういんしずか)立教大学文学部日本文学科卒業
作家、作詞家。
作詞家としてのペンネームは、伊達歩です。
近藤真彦氏へ提供した愚か者は、第29回日本レコード大賞を受賞しています。
代表作は「機関車先生」「ごろごろ」。2016年に紫綬褒章受章。
親戚のプロ野球選手高橋明選手の縁で、長嶋茂雄から入るなら立教にといわれ、野球部に入部するために立教大学に入学するが、ひじの故障のために野球は断念しました。
その穂、電通に入社しコマーシャルを手掛けるようになり、松任谷由実や松田聖子のコンサートプロデュースもしました。
1970年代後~80年代は作詞家・伊達歩として近藤真彦の「ギンギラギンにさりげなく」「愚か者」など数々のヒット作を生み出しました。
女優の夏目雅子と二度目の結婚。
しかし、2番目の妻・夏目雅子は白血病のため若くして他界しました。
現在の妻は、夏目雅子の親友であった篠ひろ子。
篠はこの結婚にずいぶん迷いがあったらしいです。
現在は妻とともに仙台市に住んでいる。
タレントや文筆業をしている西山繭子は最初の妻との娘。
お父さんとは芸能界に入るまであったことがなかったらしいです。
Fayray(フェイレイ) 立教大学社会学部産業関係学科卒業
歌手・シンガーソングライター 。
高校時代から芸能活動をしていたFayrayさんですが、当時の三者面談で「芸能活動しながらでも、立教大学くらい合格してみせますよ」と言って実際に立教大学に進学されたそうです。
在学中の1995年にはミス立教になったこともあり、そこから吉本興業代表取締役社長から発掘されて歌手デビューとなりました。
ヒット曲としては「tears」「Baby if,」などが知られています。
現在はあまり目立った活動はされていないようですが、2006年からニューヨークに在住して自分の理想とする音楽を追求する活動を行なっているとのことです。
岡田がる(おかだ がる) 立教大学経済学部
漫画家。趣味はサッカー観戦やサッカー関連のグッズを集めることです。
とてもサッカーが好きで、サッカーの審判の資格をもっています。
東京都出身で、以前は山一證券 総合職に勤務していました。
現在は漫画家です。
1993年四コマ誌に掲載された山一証券新橋支店でデビューしました。
作風はOL狂騒曲、ダッシュ!!カンカン娘、ごめんいわくギャルズなどで面白おかしいものが多いです。実話系の漫画を四コマ漫画誌などで執筆しています。
上橋 菜穂子(うえはし なほこ) 立教大学文学部史学科卒業
児童文学作家。
大学時代は史学科を専攻していたが、文化人類学に興味を持ち大学院に進みました。
小さいころから「モモちゃんとあかねちゃん」シリーズ、「水滸伝」などたくさんの本を親から与えられ、本に親しんで育ちました。
初めて自分で選んで読んだ本は「王様と剣」。
1996年『精霊の守り人』で、第34回野間児童文芸新人賞 と1997年 第44回産経児童出版文化賞ニッポン放送賞を受賞し、人気児童文学作家としての地位を確立しました。
その後も「鹿の王」など、森を舞台とした雄大なテーマを持ったファンタジー小説が、ティーンから大人まで幅広い層から支持を得ています。
なかにし礼(なかにし れい) 立教大学文学部仏文科卒業
作詞家、小説家 。
両親は北海道から満州にわたり酒造業をしていた。
終戦後に満州から日本へ戻るときには壮絶な旅を経験する。
大学卒業後は、シャンソンの作詩をしていたが石原裕次郎と出会い石原プロに詞を持ち込んだことから作詞家として活躍します。
1970年代は美空ひばりやキャンディーズ、石原裕次郎など多くの人気歌手の歌詞を手掛けました。
2000年以降は小説家、文筆業を中心に活動しています。
元タカラジェンヌの妻の家族をモデルにした「てるてる家族」はNHK朝のテレビ小説の原作となり、上原多香子・上野樹里・紺野まひるなど人気女優が姉妹を演じたこともあり、好評でした。その他「赤い月」など小説家としても名作を生みだしています。
現在はがんとの闘病記をつづったエッセーが話題となっています。
篠崎 誠(しのざき まこと) 立教大学心理学科卒業
1963年生まれの映画監督、脚本家。
映画批評家や母校である立教大学映像身体学科の教授でもあり、映画美学校フィクションコースの講師もつとめてます。
1996年に監督・脚本した「おかえり」から2014年までの11本の映画と4本のテレビ作品を監督しています。
特に2014年に監督・脚本した「SHARING」は第19回釜山国際映画祭「アジア映画の窓」部門で上映されました。
著書には2003年に黒沢清氏との共著で出版した「恐怖の映画史」があります。
村山 由佳(むらやま ゆか) 立教大学文学部日本文学科卒業
東京都出身の作家。
1990年「いのちのうた」で作家デビューし、代表作に「天使の卵」や直木賞を受賞した「星々の舟」などがあります。
特に恋愛小説を得意としており、その他にも数ある作品の中には4つの受賞作品を持っています。
小学校から大学まで立教で、大学では文学部日本文学科卒です。
認知症のため、小説を読むことができなくなった母をきっかけに自伝的小説「放蕩記」を2011年に刊行しました。
スポーツ界で立教大学の著名な卒業生は?
長嶋 茂雄(ながしま しげお) 立教大学経済学部卒業
プロ野球選手・プロ野球監督として有名な長嶋茂雄さんは、1954年に立教大学経済学部に進学されました。
同年に父が急逝されて母親が野菜売りの行商をしている背中を見て大学を中退してプロ入りすることも考えたとのことですが、母親に猛反対されたそうです。
そして高校時代から注目されていた野球の実力で、入学と同時に野球寮に入って4年間野球に没頭される生活だったようです。
そして、4年の春秋との優勝連覇は本当に思い出深い試合だったと話されています。
プロ野球を引退されてからも、読売ジャイアンツ終身名誉監督や日本プロ野球名球会顧問として就任されました。
長嶋一茂(ながしまかずしげ) 立教大学社会学部産業経済学科
長嶋茂雄巨人終身名誉監督の長男。
バラエティータレントのイメージが強く、また良く石原良純さんとコンビのように出演していることも多いのですが、一茂さんも野球選手でした。
立教大学在学時には六大学野球で大活躍をし、日本代表にも選出されていました。
高校は系列の立教新座高校でした。
立教大学卒業後は、ヤクルトスワローズから1位で指名され入団したのですが、レギュラーとして定着できず、読売ジャイアンツに移籍しましたが、その数年後には引退しました。
プロ野球選手としては残念ながら短命でしたが、芸能界に活躍の場を移してからはバラエティー番組にCM、ドラマ、ワイドショー番組の出演と大成功を収められています。
多田野 数人(ただのかずひと) 立教大学観光学部卒
元プロ野球選手。
1980年生まれの東京都墨田区出身で、八千代松陰高校から立教大学観光学部に入学。
プロ野球ドラフト会議では上位指名が予想されていたが、あるスキャンダルが原因で指名をうけることなく渡米し、インディアンズとマイナー契約をしました。
以降180cmの長身を生かしたピッチングで2004年にはメジャー昇格もしたものの、2007年には帰国し、北海道日本ハムファイターズへ入団。
2015年からは独立リーグで投手兼コーチとして過ごし、2017年には現役を引退し、再び日ハムに戻り、本部のスカウトマンに就任しました。
政治・経済界で立教大学の著名な卒業生は?
小川 敏夫(おがわ としお) 立教大学法学部卒業
政治家、弁護士、裁判官、検察官、馬主と多才な方です。
卒業の年に超難関の司法試験に若くして合格、裁判官・検察官となりました。
その後「個々の問題を法律家として解決するだけでなく、社会をつくる政治に取り組みたい」と政治家になり、キャリアを活かして法務副大臣や法務大臣も歴任しています。
キャッチフレーズは「国会の鬼検事」。
まさに法律・政治のプロといえる方です。
また競馬のファンという一面も持ち、自ら競走馬のオーナーとなっています。