駅弁大学は馬鹿にされるか?
駅弁大学とは、地方国立大学のことであり、地方国立大学を馬鹿にする言葉としてインターネット上で使われています。
日常生活で耳にすることはほとんどない言葉でしょう。
今回は、駅弁大学は馬鹿にされるかをテーマにお話をさせていただきます。
目次
駅弁大学は馬鹿にされるか?
まず駅弁大学が馬鹿にされるかということですが、駅弁大学はインターネット上では馬鹿にされています。
地方国立大学とMARCHのどっちが上かという論争が繰り広げられることが多いですね。
そのような議論の中では、地方国立大学が田舎にあるという点で馬鹿にされることがよくあります。
そもそも駅弁大学という言葉自体が、地方国立大学の乱立を馬鹿にする言葉として生まれたのです。
駅弁大学という言葉ができた経緯はこちらになります。
戦後、1946年(昭和21年)に、GHQによる学制改革によって、「一県一国立大学」が実現しました。
これによって、それまで、希少価値が高かった国立大学が急増したんです。
世の中の人は思いました。
「国立大学なんて各県にあるくらい価値が低くなったな」
それに対して、それまで旧帝大などの国立大学に行っていた人たちは、新設された国立大学を見下すようになります。
「新しくできた新設大学はダメだ」
こういった考えや、世の中における国立大学の地位の低下を風刺した言葉として、駅弁大学という言葉が生まれました。
駅弁大学の由来は、当時駅弁が急行列車が停車する大学で売られていたのですが、そのような駅には新しい大学ができたということから作られたそうです。
ただし、あくまでも駅弁大学が馬鹿にされているのはインターネット上だけであり、実生活で馬鹿にされるということは普通はないでしょう。
面と向かって駅弁大学卒の学歴を馬鹿にするヤバい人には中々出会うことはないはずです。
駅弁大学が馬鹿にされる10の理由
駅弁大学が馬鹿にされる理由はたくさんあります。
価値観の違い、大学が有名ではない、田舎にある、数が多い、有名な卒業生が少ないなど挙げればきりがありません。
駅弁大学が馬鹿にされる理由について一つずつ紹介させていただきます。
駅弁大学が馬鹿にされる理由① 田舎は都会より下と考える人が多い
駅弁大学が馬鹿にされる1番の理由は、田舎は都会より下だと考える人が多いからです。
田舎が都会より下だという考えは今に始まったことではありません。
昔から、罪人は島流しされたり、政治で失脚した人は都落ちといって地方へと行くことになっていました。
つまり、田舎は負け組がいくところといった価値観が昔からあったのです。
インターネットが発達した今の時代なら、田舎にいても何でも手に入れることができるようになりましたが、昔は田舎は田んぼしかなかったといっていいでしょう。
ただ、現在でも田舎は都会に比べると店や娯楽は少なくて、若者にとって、魅力的な場所ではありません。
遊び盛りの若者にとって、田舎が都会より下と考えるのは当然といっていいでしょう。
なので、地方国立大学は都会の大学に行けなかった人が行くところと考える人がいるのです。
もちろん、金銭的な事情で地元の国立大学しか受けられなかった人もいるとは思いますけどね。
駅弁大学が馬鹿にされる理由② 駅弁大学はあまり有名ではない
駅弁大学が馬鹿にされる理由2つ目は、駅弁大学はあまり有名ではないからです。
駅弁大学は地元では有名です。
なぜなら、田舎には大学が少ないし、地元から駅弁大学に進学する人がほとんどですからね。
しかし、駅弁大学は全国に39大学もあるし、あまり個性がある大学はありません。
メリットと言えば、学費が安いか実家から通える以外にはあまりないでしょう。
わざわざこの大学に行きたいという理由で全国から受験しに来る人はいません。
駅弁大学卒業の有名人というのもあまり聞かないですよね。
なので、やはり都会の早慶、MARCHなどといった有名私立大学と比べるとかなり見劣りしてしまいます。
大学の価値というのは難易度だけではありません。
ただ偏差値が高かったり、受験科目が多ければ上だというわけではないのです。
あくまでも大学は教育機関であり、卒業生がどれだけ社会で活躍できるかということの方が大事なことでしょう。
卒業生がパッとしない地方国立大学は、都会の有名私立大学より下に見られても仕方がないと言えますね。
駅弁大学が馬鹿にされる理由③ 田舎にいると人生経験が積めない
駅弁大学が馬鹿にされる理由3つ目は、田舎にいると人生経験が積めないからです。
地方国立大学に行くと、人生経験が全然積めません。
都会ならできる機会が地方には閉ざされているのです。
企業でのインターン、バイト、すごい人との出会いなどといった学生だからこそできる経験の機会が地方ではありません。
入学時は、地方国立大学とMARCHの学生はほとんど変わりません。
しかし、4年後には、人生経験において雲泥の差がついていると言えるでしょう。
都会にいると、バイトをすれば別の大学の人と簡単に知り合いになれます。
すると、違う観点や価値観の話が聞けたり、面白い経験を聞くことができるのです。
それが刺激となって、自分も何かやってやろうと思ったりします。
すごい人に会うと、自分がいかに何もないかということを痛感して落ち込むこともあるでしょう。
そんな経験をするからこそ、努力して何かを成し遂げてやろうと思えてくるのです。
田舎にいると、同じ人と話して同じ毎日を繰り返すことになります。
そんな生活の中では、人生経験が豊富になることはないでしょう。
さまざまな価値観の人と出会ってこそ人は成長していくものです。
駅弁大学が馬鹿にされる理由④ 都会の人は駅弁大学を知らない
駅弁大学が馬鹿にされる理由4つ目は、都会の人は駅弁大学のことを知らないということがあるでしょう。
都会の大学に進学した人たちは、田舎の地方国立大学に行くことなど全く考えていなかった人がほとんどです。
なので、地方国立大学にはどんな大学があって、どれくらい難しいかということを知りません。
私立専願の受験生の中にはセンター試験すら受けたこともない人も普通にいるのです。
一方、地方国立大学に行く人の中にも都会の私立大学に行くことは全く考えていない人も多いでしょう。
人は自分が知らないものを過小評価する傾向があるので、都会の大学に行く人は地方国立大学のことを馬鹿にする人がいるのかもしれません。
駅弁大学が馬鹿にされる理由⑤ 駅弁大学は偏差値が低い
駅弁大学が馬鹿にされる理由5つ目は、駅弁大学は科目数が多いため、偏差値が低く出るからです。
駅弁大学は国立大学なので、センター試験を受験する必要があります。
なので、センター試験で5教科7科目を受験して、二次試験で2〜3教科受験するというのが一般的です。
科目数が多いと、勉強時間が分散するため、基本的に偏差値が低くなります。
だから、だいたいMARCHの平均偏差値が60程度なのに対して、地方国立大学の平均偏差値は50〜55程度しかありません。
しかし、世の中の多くの人は事情を知らないために、単純に偏差値が高いMARCHの方が学力が上だと考えるのです。
だから、世間的にはMARCH>>地方国立大学と考える人が多いと考えられます。